弱者を犠牲にしたのは誰?

先月16日、funaboristaの住む江戸川区で結構大規模(59000世帯・4時間)な停電がありました。
funaの家はたまたまそのエリアではありませんでしたが、近所を自転車で通ったら、こちらは明るいのに道路の向こうは街灯含めて真っ暗っていう「停電・非停電の境目」が確認できました。
ただ、停電エリアは全く明かりがなかったかというとそうでもなくて、コンビニは薄暗かったのですが蛍光灯が少しはついていて、他にレジとATM関係の機器は正常に動いておりました。
確かにATMの電源が取れなくなって、機械警備に影響がでたら大変です。
なるほどこういうふうにバックアップが確保されているんだなあ、病院だって補助電源があるしなあ、などと出勤前のfunaは思ったのでした。


・・・・・・・・・・


昨夏、電力不足騒動がありましたね。
「足りている派」と「不足する派」でネット上でも喧々囂々。
それぞれの主張が「脱原発」「反脱原発」を背負っていたり、「脱原発だけど足りない派」「反脱原発だけど足りてる派(これはほとんどいなかったか)」も入り乱れたりで、そりゃもう大騒ぎ。
始めはどちらかというと「不足する派」に勢いがあったのが、火力発電所の復旧や東電以外での発電量の確保(の発覚)が進むにつれて「足りている派」がやや優勢に。
にしても、特に「足りない派」の煽りと言ったら、そりゃあ凄いもんでした。
「足りてる派は非科学的だ」「狂信的だ」「だから脱原発はバカにされる(バカにしているのは反脱原発派なんだケドネ)」、果ては「停電したら弱者は死ぬ。つまり『足りてる派』は殺人幇助だ。」まで。
もちろん「足りない派」にも(もちろん「足りてる派」でも)、冷静に頑張ってる方々はそれぞれいらっしゃいましたけどね。


funaとしては、5月には「まあ足りるんじゃないの、でも『停電は起こらない』とまでは言えないな」に考え方はまとまって、そこからは大きく変化しませんでした。
(「『停電は起こらない』とまでは言えない」というのは、もちろん「原発の必要性をアピールするために『わざと』停電させる」という意味です。)


・・・・・・・・・・


そして、実際はどうだったかというと・・・
これは「足りている」なんてもんじゃなくて、むしろ「余裕がある」状態でした。
「停電するぞー」という「足りない派」の煽りが効きすぎたのか、それともこれが真面目な日本人の真骨頂なのか、はたまた電力需要に余裕が出るくらいに(製造業中心に)不景気だったのか、それとも・・・


そういえば昨年の春先に、その夏の電力量について「電力は足りているという妄言」「電力は足りる、と机上の空論を振りかざす人もいます。」なんて書いてあったブログを、秋に興味本位で覗きに行ったことがありました。
電力は足りちゃったんだけど、どうしてるのかな、反省の弁でも書いているのかな、「東電の隠蔽に騙された」とでも書いてあるのかな、そもそもあのブロガーはどんなデータを元に「妄言」とまで(間違った)断定ができたんだろう、そこらへんは書いてあるのかな・・・なんて思っていたら、
「足りたのは『脱原発派』の節電圧力のせい。企業が一般市民から『叩かれるのを恐れて』節電したから。そのせいで例えば非正規の残業が減った。脱原発派は弱者を犠牲にしたのだ」(笑)。


この人、よっぽど『脱原発派』に叩かれたんでしょうねw。
どう考えても「普段から経費削減がしたくてしたくてしょうがなかった企業が、『今なら節電という名の経費削減をやっても叩かれない』と考えて、その限界までチャレンジした」っていうのが真相でしょww。
あの「夜の節電=営業時間短縮」は、「節電してますっていう宣伝」と「人件費削減」の、まさに一石二鳥!
脱原発派が叩く」って言うけど、そもそもどうやったら「節電していない企業」って外からわかるんですか?
だから「足りない派」はバカにされるんだよwww。


・・・と、草を生やすのはこのくらいにしておきます。
にしても、「節電→残業減少」がどうして「従業員の収入減少」とイコールになってしまうんしょうねえ・・・
なんていうと、収入減は当然でしょ、結局働けてないんだから、企業はボランティアじゃないんだし、なんて言われそうだけど、でもね、必ずしもそうとは言えないんですよ。
というのも、春の計画停電の際も、夏の節電の際も、ほとんど話題に上らなかったことがあるんです。
それは「需給調整契約」です。


・・・・・・・・・・


「需給調整契約」とは


「電力の大口消費者に、平常時の電気料金の割引をするかわりに、電力需給が逼迫した際に電力供給を止めることができる契約」のこと。
電力会社の要請→電力停止のタイミングによって、即時・1時間後・3時間後の3種類の契約があるそうですが、つまりは全体の利用状況によって「今日はヤバいぞ」となったら「ごめん、今日はちょっとヤバいからおたくの電気とめるわ」って「電力会社が一方的に宣言して強制的に止めることができる」という、とても素晴らしい契約なのです。


で、そんな素晴らしい契約をしているにもかかわらず、地震直後の電力不足の時には、「需給調整契約」という言葉が大手の報道に出たのはたったの「半日」だけ。
それ以降数週間、ごく一部のメディアを除き、箝口令でも敷かれたかのようにこの単語は出てきませんでした。
そして「計画停電」が実施され、・・・点灯しない信号が原因で亡くなった方がいらっしゃいましたね。
そして、夏の停電。
一部の新聞等で話題にはなりましたが、例えば契約をしている企業のリストなどは、いつまでたってもわからずじまい。
私など、こういう契約をすることでピーク時電力の抑制に協力している企業、お礼の一つも言わなきゃならないな、なんて思ったのですが、どうやら当の「いいことしている」はずの企業側がその公表に消極的なご様子。
そんなこんなで、結局「受注調整契約」に基づく電力抑制ではなく「電気使用制限令」で、つまりは一定規模以上の全企業でということに。
しかも中小企業や一般家庭にまで15%の節電要請を行いました。
企業によっては休日を土日から平日に移動したり、夜間操業へシフトしたり。
その結果、深夜/時間外の人件費の分、企業にとっては負担増になりました。
働いている人にとっては、健康への影響が特に大きかったんではないでしょうか。


・・・・・・・・・・


だけど、ですよ。
需給調整契約のこれ↓を思い出してほしいんです。


「平常時の電気料金の割引をするかわりに」


つまりね、この契約を結んだ企業は、普段はそのメリットを受けておきながら、いざっていうときにその分のリスクを、こんな時ですら負担することもなく乗り切ることができたってことなんです。
一般家庭や中小企業、さらにリスクを考えて受注調整契約を結ばなかった大企業は、メリットを受けてないのにリスクだけ負担させられたんです。


そうはいっても、不足電力量が受注調整契約での調整可能分を上回ってたら、結局みんなで節電しなきゃならなかったんじゃないか、そう考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実際は、こうでした。


電力需給 政府今夏試算「6%余裕」伏せる 再生エネ除外、「不足」のみ公表」
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/konokunitogenpatsu/news/20120123mog00m010999000c.html


この「6%余裕」という試算値は、昨年春頃の穏健な「電力は足りてる派」の主張と、実はほとんど同じです。


・・・・・・・・・・


なぜこの試算が当時の政府から出なかったのか。
ここからはfunaの邪推ですが、要するに受注調整契約を結んている大企業が負担するべきリスクを、自分たちだけじゃなくて社会全体に負担させたかった、ってことだったんでしょう。


電力に「余裕がある」となれば、「電力使用制限令」も出されないことになります。
その結果、(猛暑等で)急に電力消費量が増加する日が、まあ年に数日はあるでしょうか。
funaなどはそんな時こそ、受注調整契約を生かして「全体に影響を及ぼすことなく」電力危機を乗り切るべきだと思うんですが、一部の大企業や国は、そうは思わなかったんでしょうね。
自分たちだけが、いきなり電気を止められるなんていうのは、きっと許せなかったんでしょう。


それに、これならせいぜい一企業につき年10時間以下の電力停止にしかならないはずなのですが、ただなにしろ「平常時の電気料金の割引をするかわりの」電力停止→操業停止ですから、「仕事ができなかった分は、普段割引された電気料金の分で休業補償するべきだ」という声が出てもおかしくない。
でも、節電の負担を社会全体に広げることによって、そういう声が出るのを抑えることに成功しました。


ちなみにfunaは、受注調整契約を結んでいる企業は、「たとえそれが発動されなくても」、節電によって従業員の労働時間が短縮された分の収入保障については、それを「普段の料金割引分で蓄えた内部留保によって」保障すべきだと考えています。


・・・・・・・・・・


ここで、あらためて「電力は不足する派」を思い出してほしいのです。
彼らは、誤った情報(またはNO情報状態)で、「足りない」「停電するぞ」と世論を煽りました。
その煽りによって(政府が煽りを利用して)、本来は一部の大企業が負担すべきリスクを、社会全体で、しかも本来負担すべき大きさに比べて過大に負担することになりました。


その「煽り」は、多くの企業・一般市民を不当に犠牲にして、そのかわりに一部の大企業に不当な利益をもたらしたのです。


弱者を犠牲にしたのは「足りてる派」ではありません。
「不足する派」こそ、弱者を犠牲にしたのです。


「不足する派」の“電力不足幻想”を振りまいてきたことの反省は?


あまりいろんなブログを読まないfunaに、もし知ってる人がいたら教えてほしいのです。
昨年「電力不足」を煽った人で、今になって反省している人っているんでしょうか。


秋に覗いたブログを、今回のエントリーの為にもう一度覗きに行ったのですが、「6%余裕報道」には今のところ触れずじまい。
そのかわり原発の必要性が延々と書かれておりました。
原発こそが弱者を助けるんだそうで・・・
この人の言う「弱者」は、私の知ってる「弱者」とはきっと違うのでしょう。


・・・・・・・・・・


funaも、ブログに「間違い」を書くかもしれません(もう既に書いているかも)。
それでも、間違いは間違いと認め、反省できるブログでありたいと思っています。
自分で気がつければいいんでしょうけど、こういうのはなかなか自分では気がつかないもの。


ということで、他力本願ではありますが、みなさん、よろしくおねがいします。