「期待」という名のお化け

2/1のエントリー「アベノミクス」のコメント欄で、「ネットリフレ派」に対する私の感想に近いものとして「リフレ派・インタゲ論争と基礎学力」を紹介しました。


では、「リフレ理論そのもの」に対しては、・・・先日、これは結構私に近いな、というものを見つけましたので、以下に一部転載して紹介したいと思います。


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リフレをめぐる「期待」という名のお化け


小島寛之帝京大学教授)


 
1.安倍内閣新保守主義か?


(省略)


2.リフレという政治運動


リフレ政策とは、布教の原因をデフレ(継続的物価の下落)に求め、強力な金融緩和を使って人為的にデフレからインフレへの転換を図り、景気を回復させようとする政策である。
とりわけ、日銀の強いコミットメント(確約)によって、人々にインフレ予想を形成することに主眼がある。
本稿で読者にもっとも訴えたいことの一つは、リフレ政策というのは、それなりの理論武装はしているものの、あくまで政治運動の一つだ、という点だ。


リフレ政策によって景気を回復させようと考える人々はリフレ派と呼ばれる。
筆者は、日本のリフレ派の起源には明るくないが、ネット上の発言などから、彼らは大枠リベラルに分類されると理解している。
すくなからぬリフレ信奉者は、不況の解消に弱者救済の道を見出している。
不況は失業者の増加を通じて、自殺者を増やし、非正規雇用の苦境を生み出し、若者の貧困を助長している。
これらの社会的犠牲者を救済するために、非伝統的な金融政策によって市場経済に強く干渉するべきだと考えているのである。
そういう意味で、リフレ派はリベラル政治運動の一環と捉えられる。


他方で、そのような社会の歪みを「日銀の陰謀のせい」だと、単一元凶説を主張する点も特徴的である。
これは筆者にかつてのマルクス主義運動を思い起こさせる。
マルクス主義運動は、究極的には労働者の幸福を求めた運動だったが、貧富を「資本家の搾取のせい」とし、社会の複雑な構造性を軽視した点で類似してはいまいか。


(中略)


もちろん、国家によるすべての政策は社会実験であることを否めない。
なぜなら、現在の経済学は、経済政策に対して、物理学が持っているような確かな原理・法則は持ち合わせていないからだ。
経済学者の主張の対立は、多くの場合、「どの理論を信仰しているか」の違いからくるものであって、科学的に真実を見つけ出そうという営為とは程遠い。
というのも、社会現象はあまりにも多くの不確かな要素から生成され、それらの影響を取り除いて分析することは無理難題だからである。
仮説を検証する科学的手立てを、思考実験的にも統計学的にも、現在の経済学はまだ手に入れていない


3.不況の原因に関する議論の錯綜


(省略)


4.「期待」という名のお化け


アベノミクスが注目を浴びているのは、安倍自民党総裁が誕生した時点から円の下落と株価の上昇が起き始め、安倍総裁が発足するとそれに拍車がかかったからだ。
つまり、政権はまだなんら実質的な政策を打って出ていないにもかかわらず、その効果が出ていると考えているからである。


リフレ派はこれを「期待への働きかけ」という言葉で説明する。
ここでいう「期待」とは、経済学の専門用語であり、「人々が将来について抱く予想」のことである。
すなわち、実際にはまだ政策は実施されていないが、将来になされるであろう政策の効果を予想し、先回りして円が売られ株が買われている、と解釈しているのだ。


この説明を是としない学者も存在する。
齊藤誠氏は、『朝日新聞』で原真人氏のインタビューに答え、円安・株高の原因はアメリカの景気回復やEU金融情勢の安定化のおかげだ、と述べている。
もしこれが正しいとするなら、リフレは映画の登場人物に向かって号令を掛けている観客にすぎないということになるだろう。


第2節でも述べたように、経済学の脆弱性は、このような正反対の見解に対してその是非を決定する能力がないことにある。
「期待」というのは、「人が将来をどう予想するか」といういわば「お化け」のような概念である。
それゆえ「期待」という概念には、(超能力などと同じような)検証不可能性がつきまとう。

にもかかわらず、この概念は、リフレにとって生命線だから看過するわけにはいかない。


実際、日銀の新副総裁となった岩田規久男氏は、「デフレと超円高」の中で、貨幣量を増加させる量的緩和政策が景気回復に効果がある理由を次のように説明している。
すなわち、民間にお金が出回り、それがモノの購入に使われるからではない。そうではなく、まず、金融関係者が貨幣供給の増加が長期に続くと予想することから、インフレ予想を形成し、それが金利や株価や為替の変化を促す。次に、それにつられて投資や消費の増加が誘発され、実際のインフレが起きる、と。
しかし、賢明な読者なら誰もが、この説明に自家撞着が潜んでいると感じることだろう。
貨幣供給量の増加が実体経済に直接影響を及ぼすわけではないとしながら、なぜ金融関係者は実体経済への影響を予想するのか意味が解らない。


とは言っても筆者は、「期待」という概念をまるで否定しているわけではない。
それどころか「期待」こそが物質科学と社会科学の科学的なあり方を選り分けるアイテムだと考えている。
実際、筆者は意志決定理論の研究者であり、これは「人が将来にどういう予想を形成するか」を解明しよう試みる分野である。
だが残念なことに、岩田氏の言うような予想形成の仕組みを説明できるほどには、現在の意思決定理論は発展していないのだ。


5.インフレ目標をめぐる混乱した議論


(省略)


6.社会の調整弁の放棄という問題


インフレ目標とは、他の手段を放棄する、いわば「捨て身」戦略である。景気が回復しても、日銀は目標を達成するまでせっせと金融緩和を継続しなければならない。
なぜなら、約束を守らなかったら、次にデフレが起きた場合に信用されなくなってしまうからである。
このことを岩田氏は「政策の動学的整合性」とよび、無駄な緩和をそのために必要不可欠なコストとしている。
しかし、市場経済というのはいろいろな様相を持っている。
だから、恣意的介入を前提とするなら、たくさんの調整弁を備えているべきなのは言うまでもない。
お化けのような「期待」を形成するために、多様な調整弁を捨て去ることは果たして得策なのだろうか。

この論点はTPPについてもあてはまる。
伝統的な経済学では市場機構に強い信任を置くために、たいてい「自由貿易は両国にとって良い」という結論が出てしまう。
しかし、市場社会の複雑な様相を前提とするなら、関税という多様な調整弁を保持するほうが得策であろう。
またそれこそが、市場機構を過信しないリベラリズムの本来の姿ではなかろうか。


(以下省略)



中央公論2013年5月号掲載(大文字強調はfunaborista)


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小島寛之氏は経済学者ですが、私と同世代(40代)で“子供の頃から数学好き”の人々にとっては、むしろ雑誌「大学への数学」執筆陣としておなじみだったのではないかと思います。
おそらく数学出身ゆえに経済学の論理的脆弱性には敏感なところが、私の感覚に似ているのだと思います。
(もちろん、あちらは大学教授、私は素人なので、理解の程度には天と地ほどの差があるでしょうが。)


小島氏は東大数学科出身ですが、大学院受験に失敗し、学習塾の講師をしていたときにあの宇沢弘文氏の市民講座を聞いて経済学者への道を目指したという、まあ経済学の世界では変わり種です。
(なお、宇沢弘文氏の講演を聞きに行ったのは全くの偶然というわけではなく、小島氏の大学での同級生・宇沢達氏(弘文氏の長男・数学者で現名古屋大学教授)に勧められたから、だそうです。)
ちなみに宇沢弘文氏もまた、東大数学科出身の経済学者です。