「リフレ」と「トリクルダウン」

最近読んで、面白かったブログ記事の紹介。


カンタンな答 - 難しい問題には常に簡単な、しかし間違った答が存在する」より


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長期金利上昇で明らかになってきた異次元緩和のの「トリクルダウン」頼みの波及ルートについて」
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20130516/1368687980


「リフレ政策とトリクルダウン理論について」
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20130518/1368920160


「資本主義とトリクルダウン理論について」
http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20130519/1369005315


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私のブログよりも数段わかりやすく、そして丁寧です。


経済ブログにありがちな、自分の主張だけを論理的説明抜きで繰り返すようなものではなく、考え方の異なる他者の考えも取り上げ、その考え方の筋道や、それぞれの理論の適用限界(理論が成立する前提条件)がはっきりわかるように書かれています(もちろん自身の理論の適用限界も)。
トピックを理解するのに最低限押さえておくべきネタには万遍なく触れられているのもありがたい。
何より、書いていらっしゃる方(abz2010さん)の考え方が論理的で、記事に飛躍や矛盾がなく、記述に誤魔化しをしないのが素晴らしいです。
内容は、これはもちろん私の判断にすぎませんが、上で紹介した記事以外についても、私がいくつか読んだ限りにおいてはほぼ妥当です。


(他にも例えば、記事内に過去記事としてリンクがあった「「実質金利高止まり」論の不思議 − 超低金利なのに投資が活性化しない理由は?」http://d.hatena.ne.jp/abz2010/20120507/1336437691など良記事が多いです。)


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で、個人的に面白かったのは「トリクルダウン」の話。


コメント欄に何人もの「リフレ派」の方々がいらっしゃって(私が以前ブログ記事で紹介したshavetail1さんも!)、


「リフレはトリクルダウンではありません」


という主張をされているんです。


 
リフレはトリクルダウンではありません


そりゃあそうでしょう。


「リフレはトリクルダウン」っていうのは「雑な言い方」なのであって、丁寧に書けば


「リフレはトリクルダウンが機能しないと上手くいかない」


なんですから。


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アベノミクス」でも書きましたが、リフレ政策というのは「企業が先」の政策です。
(反対に「人が先」の政策、というのは、例えば「生活保護費や最低賃金の引き上げ→消費増による景気向上」など。)


実際そうなるかどうかは議論の余地があるでしょうが、近い将来、リフレ政策、というかアベノミクスによって、とりあえず「企業の設備投資が増えた」から「企業の利益が増加した」ところまでは持っていけた、としましょうか。
でもその利益を、賃金増なり雇用増なりで「トリクルダウン」させずに、2003〜2007年の好景気の時と同様に「内部留保」として蓄えてしまったら、・・・もしそうなってしまったならば、景気もその時と同様、最終的には「以前よりもさらに悪化して」しまうでしょう。


内部留保」の増減は、「リフレ政策」とは全く関係がありません。
「リフレ」は、企業が内部留保を増やすか減らすかに対して、いい方にも悪い方にも影響を与えないのです。
だからこそ、安倍氏は「賃金を上げてほしい」と「お願い」をしているのです。
(私などは最低賃金を上げればいいと思うのですが、それだと「企業が先」ではなくなってしまいます(=企業の負担増→不景気と政府・企業側は考えている)からね。)
つまり安倍氏安倍内閣)は、リフレ政策だけでは景気が向上しないことを自覚しているのです。


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ところで、リフレ派の方はよく「インフレを起こせば、民間に増えたマネーにより設備投資増加や失業率低下が始まり、サラリーマンの給料は上昇に転じ、リストラもほとんどなくなるでしょう。」というように書いてしまう(らしい)のですが、これも「リフレはトリクルダウンではありません」にならって丁寧に書けば


「インフレを起こせば、民間に増えたマネーにより設備投資増加が起こり、“企業が更に人を雇えば”失業率低下が始まり(ますが、雇わなければ失業率は低いまま)、“企業が更に支払えば”サラリーマンの給料は上昇に転じ(ますが、支払わなければ給料は低いまま)、“企業が(以下略)”リストラもほとんどなくなるでしょう(が、以下略)。」


となります。


もしリフレ派の方々が、たとえば


「リフレ政策だけでは景気は(ほとんど)向上しないから、トリクルダウン(または再配分)政策も実施しなければならない」


といったような、「『リフレ政策の不完全性』を含めた上での『トリクルダウン政策の必要性』」を多くの人が以前から主張し続けていた、っていうのであれば、むしろそこらへんを強調してくれればいいのになー、と思っています(私はネットをあまり見ないので、そこらへんは良く知らないのです)。
しかし今回、私が上で紹介した先だけでも複数の方が、「トリクルダウン」という言葉自体を「リフレ政策を不当に非難する言葉」として捉えて、激しい拒絶反応を示されており、しかしその方々が別の場所では、本来書かれるべき“企業が(以下略)”を省略した形で、つまりはトリクルダウン理論は正しい=トリクルダウンはひとりでに起こる」と考えている、と受け取られかねない記述をされています。


とすると、「リフレはトリクルダウン」という言い回しは、それはおそらく最初に“企業が(以下略)”という部分を省略して「丁寧に書かなかった」リフレ派の方々のほうにこそ原因がある、のかもしれません。


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ところで、今、私は「丁寧に書かなかった」と書きました。


「丁寧に」?


彼らが“企業が(以下略)”と書かなかったのは、「丁寧ではなかった」のが原因なのでしょうか?


他に「理由」はなかったのでしょうか?


もし他に「理由」があるとするならば、私はあると思っていますが、それこそがリフレを「政治運動」たらしめているものであり、またそれが、少なからぬリフレ派の方々がリフレに魅力を感じる「理由」でもある、と私は考えています。


そしてそれが、私がこの話を書き始めた「理由」でもあります。


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(7/4追記)

MTさんという方から「企業が先、家計が先、ということ自体はリフレの理論からは導けません」という指摘があり、それに対し私がコメント欄で回答をしたところ、特にそれに対して異議をいただくことはありませんでしたので、納得していただけたものと判断し、コメント欄を以下に転記します。
(ただし勝手ながら、本文訂正までは必要がないものと判断しましたので、以前書いた本文はそのままです。)


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リフレという考え方それ自体には、もともとは「「企業が先」か「人が先」か」といった優先順位は存在しません。
(「企業が先」には、たとえば「設備投資などの融資」などが、「人が先」には、たとえば「ヘリコプターマネー」などが相当します。)


しかし、「アベノミクス」もそうであるように、リフレ政策はたいていたいてい「企業が先」の政策として行われます。


なぜ「人が先」の政策は行われないのでしょうか?


リフレの考え方というのは、「この先インフレが起こると予想させることで、“手持ちの資金の価値が減る前に使おう”と人々に判断させよう」というものです。


しかしここで、「リフレ懐疑派」と言われる人々はツッコみます。


「“手持ちの資金の価値が減る→使おう”って本当になるの?
むしろ“手持ちの資金の価値が減る→必要なもの以外は買わないようにしよう”ってなるんじゃないの?」


それに対して「リフレ派」の説明はこう。


「個人であればそういう判断になるかもしれないけれど、企業であればそうはならない。」


“買わないようにしよう”という個人が一定数存在するのは「リフレ懐疑派」が存在することによって証明されていますし、その人たちの“買わない”動機である「生命維持の必要性」(食う寝る等の必要経費)が企業にはありません。


ということで、「貯蓄されてムダになる可能性がある」個人への資金投入は行われず、企業に対して資金投入される、


・・・つまり「リフレは「企業が先」の政策として実行される」のです。