長崎の旅

先日、夏休みを取って旅行に行ってきた。


私たち夫婦の旅は「町を歩く」のが恒例行事。
そこがどんな町なのか、実際歩いて感じてみたいから。
去年は富山。高岡の朝市、そして氷見漁港。
今年は長崎。唐人屋敷からグラバー園のあたりを歩くことにした。


 
唐人屋敷:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/tojinyasiki/


場所はいわゆる中華街の隣。
唐人屋敷とは江戸時代の中国人版出島のこと。
地区の名前であって建物の名前ではない。
今はいくつかの唐風の建物が残る程度で、しかもそれらを含めて多くの建物は戦後に建てられたもの。
なぜなら、ほとんど全ての建物が原爆で倒壊したから。
中心市街地からは少し離れているためか、いまだに古い町並みが残っている。


「昔からある町」というのは、長崎で言えば「標高の低い土地」ということ。
周りを山で囲まれていて、湿気がこもる。
その上、野良猫が多いので、町全体がうっすら猫の香り。
館内市場、丸金温泉、伊藤紫雲軒、四階建の木造アパート、石畳、・・・
アラフォー以上には懐かしい雰囲気。
川とも排水溝とも判別つかないものがいくつもあって、その中には江戸時代につくられた唐人屋敷を囲む堀の一部が今も残っていた。


再開発の計画があるそうだ。
唐風建築や堀以外のものは、徐々になくなっていき、いずれ記憶の中だけのものになるに違いない。
そして、私たちもいつかは死んで、それすらも無くなってしまうのだろう。


 


さてその足で、今度はグラバー園へ。


グラバー園http://www.glover-garden.jp/index.html


ここは明治時代に建てられた洋館で、日本に商売をしに来た西洋人たちの家だったところ。
場所は高台、さわやかな風が吹き抜ける。
きれいに整備してあるし、入館者から金もとる。
中に入ると様々な展示があって、住んでいたのがどれだけ素晴らしい人たちだったかというのを、これでもかと教えてくれる。
グラバー、ウォーカー、オルト、リンガー、・・・
今まで書物でしか知らなかった人々がより身近に感じられ・・・ることはなかったな、私には。


そういえば、これらの建物は原爆の被害は受けなかったんだろうか。


ここはきっといつまでも残っていくのだろう。
たとえば私などが誰かに何かを伝えなくても。


 


翌日、原爆祈念公園に行った。
爆心地のそばに「被爆当時の地層」が展示されていた。


被爆当時の地層(ページ中央あたり):http://isidatami.sakura.ne.jp/heiwa1.html


瓦、レンガ、茶碗、ガラス瓶、・・・
屋外のその展示の上には、2メートル以上の土が覆い被さっていた。


これからいったい、どれだけの土が積み重なるのだろう。


だがしかし、たとえどんなに土が積み重なったとしても、今後生きている者たちがあの展示を土で覆い隠すことはないだろう。


 


東京に戻り、足元を見る。
アスファルトの地面は、昔をより一層思い出しづらくさせている。
それでも私は、死んだら土に還ることができるように生きたい。