ターニングポイント

・・・・・・・・・・


星野智幸 Tomoyuki Hoshino‏ @hoshinot


今度の選挙はターニングポイントだと人はいう。それはそうだと思う。民主主義が放棄される瞬間、という意味でも。でも、社会が急に変わったのではない。変化は20年にもわたって始まり、続いてきた。その結果が今現れているだけだ。曲がり角はじつはとっくに過ぎていた。それを直視しなかっただけだ。


https://twitter.com/hoshinot/status/276624729106944000


・・・・・・・・・・


学生時代に討論サークルに入っていました。


週一のある曜日に集まる会で、会の名前はその曜日にちなんだものでした。
主に時事的なテーマ中心に討論し合うもので、左派的な人が多く所属していましたが、中には右の人もいて、それでもお互い感情的にならずにしっかり議論はできていたように思います。
学生じゃなくなってからも、月一程度の頻度であつまっては、ああでもないこうでもないとやりあっておりました。


そのサークルで、村山内閣成立数か月後に「自社さ政権で政治は変わったか」というテーマで討論したことがありました。
「変わった」という人からは、既に参加者のうち半分以上が社会人(私も)だったこともあり、例えば役所勤めの人達から「現場の風通しが良くなった」「福祉面でも使える予算が増えた」などのプラスの声が聞かれました。
「変わってない」という人は、その直前の8党連立、細川・羽田内閣との比較で「特にこの内閣だから良くなったわけではない」とする人が多かったと思います。


しかし今後の見通しについては、ほぼ全員が「世の中はこれから保守化に向かう」「革新政党はここから一方的に下り坂」と言う意見で一致しました。


それまでの社会党は、土井たかこ氏の「ダメなものはダメ」に象徴されるように、党の方針としての「譲れない部分」というものが誰から見てもわかる政党だったのですが、自社さ政権や、その前の8党連立で、「政権に入るためなら」自衛隊もPKOも何でもOK、これ以降「筋を曲げる」政党として認知されるようになりました。
議席を増やして政権についたら筋を曲げ、やってることは既存右派政党とかわらない、というのであれば、わざわざ左派政党に投票する意味がありません。


では共産党や、その他の左派政党に票が集まるようになるか、というと、おそらくそうはならないだろうというのが、これもほぼ全員が一致した意見でした。
共産党に関しては「共産主義はコワい」という宣伝の力が大きいので支持を得られにくいという特殊事情がありますが、それとは別に、たとえ現状を打破しようとして新たな左派新党が出てきたとしても、それらの政党が「左派的主張を掲げる限り」、与党にお灸をすえる程度の議席は確保できても、政権を取れるような得票はあり得ないだろう、という意味です。


なぜか。


「政権を取るためには“ダメなものはダメ”ではいけない」
「政権を取るために妥協すべきを妥協しないのは万年野党根性ゆえであり、政権交代がなされないのもその万年野党根性が原因、その結果政策を実現できないのは支持者への裏切りである」
当時(今でも)、保守の人たちに限らず、広く世の中で聞かれた意見です。
この意見に、社会党は負けてしまった。
政権を目の前にして、有権者に「媚びて」しまったのです。


その結果


「いくら口では理想的なことを言っても、それをいつまでも押し通せるほど世の中は甘くない。結局この日本では、保守勢力に逆らうというのは無駄なことなんだ。」


ということを有権者は「学習」してしまいました。


 
・・・いやね、そもそも有権者自身が「万年野党うんぬん」言ってたんじゃん、っていうのは当然ありますよ。
でも、私の知る限り、日本の有権者ってのは所詮そういうもの。
いわゆる左派的な主張をすると「正論じゃ世の中は動かない」だとか、ヒドいのになると「自分が正しいという上から目線」だとか、よってたかって「(いろんな意味で)レベルを落とせ」と迫ってくる。
そのくせ選挙では「議席が伸びないのは左派自身にも原因がある」とくる。
どこまでも俺様!それが日本の有権者のマジョリティ。
「もっと媚びろ。俺様が投票できるまで!」
いまにもそんな声が聞こえてきそう。
でも、そこまで有権者に媚びてしまった政党は、もはや左派とは言えないでしょう。
今回の選挙でも、そんな政党がいくつもありましたねえ。


 
さて、討論サークルの話に戻れば、「自社さ是か非か」は議論が進むにつれて、かなり悲観的な将来予測が相次ぎました。
社会党は10年後には消滅しているだろう、日本は保守二大政党制に移行してお互いに右へ右への競争を始める、憲法改正は半世紀後、いや四半世紀後には実施されるんじゃないか、先進国は経済成長も頭打ちになるだろうから、閉塞感から徴兵制→戦争への「いつか来た道」へ向かってしまうんじゃないか・・・
・・・おおよそこんな感じでした。


 
私は何も、サークルメンバーに特別な先見の明があった、と言いたいのではありません。
「こうあって欲しい」という甘い願望を排して検討した結果、たとえフツーの若者であっても、20年後の日本の状況はある程度予想できた、とういことです。
ということは、少なくともこの間、社会は進む方向を大きく変えたわけではない。
20年前からここまで、日本社会はある意味一直線に進んできた、と解釈すべきです。


・・・・・・・・・・


今回の選挙を「ターニングポイント」と呼ぶ人がいるけれど、私はそう呼ぶことには違和感があります。
一方、先の震災・原発事故をそう呼ぶのなら違和感がない。
それはおそらく「ターン=向きを変える」という意味にこだわってしまうから。
少なくとも「力が加わった=加速度の方向が変わった」という意味ではあってほしい、と思ってしまうからでしょう。
日本での脱原発の盛り上がりは、原発事故を受けて「進む方向を変えようとした」もの。
しかし日本における「右傾化」は、別に今回の選挙に始まったことじゃない。
ただほんの少し「顕在化」しただけに過ぎません。


喩えるならば、今は、日本という鍋の湯が熱せられて、ボコッと一泡、沸騰しはじめた状態。
この鍋が熱せられ始めたのは、もう何十年も前。
そして、コンロのつまみを回して、火力を「中」から「強」にしたのがおよそ20年前、と言えるかもしれません。
今はまだ一泡の「ボコッ」が、これからだんだん、グラグラ、ボコボコ、・・・
・・・茹でガエルはいつまで生きていられるんでしょうか。


 
「でも、社会が急に変わったのではない。変化は20年にもわたって始まり、続いてきた。その結果が今現れているだけだ。曲がり角はじつはとっくに過ぎていた。それを直視しなかっただけだ。」


 
あの時、社会党は政権に就いてはいけなかったのです。
自らの主張を貫き通して、それで支持得票が足りなくて政権に就けなければそれはそれ。
その場合、野党にならなきゃならないけれどそれでいい、というかむしろ、そうでなければならなかった。
そうして自らの考えに沿って、有権者一人一人を説得するように、国会などで筋を曲げずに活動し続ける。
そうやって、その「行動に説得された」有権者を増やすことで、少しずつ支持を拡大し、地道に議席を増やさなければならなかった。


「そんなんじゃ、いつまでたっても政権は取れない」というのであれば、それもまた国民の選択
そもそも「国民はその程度にふさわしい政府しか手に入らない」。
「自分たちが成そうとしていることは志高く、それゆえに誰もが簡単に実現できるものではない。だからこそ自分たちの手で実現するしかない。」
もしその程度の自負があるならば、自らの主張が、それがたとえ正しいことであっても、そうそう簡単に有権者に支持されるなどと考えてはいけないのです。


・・・・・・・・・・


「来週にも世界が滅びるとしたら」(村野瀬玲奈の秘書課広報室)


ある日、アッシジの修道士、聖フランチェスコが庭にニンジンの種を蒔いていると、そこに旅人が通りがかり、こう尋ねました。


「もし、来週にも世界が滅びるとしたら、これから何をしますか」。


聖フランチェスコはしばらく考えてからこう答えました。


「このまま種を蒔きます。」


http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-176.html


・・・・・・・・・・


私はこれまで「媚び」について、自ブログや人のブログのコメント欄で何度も何度も話題にしてきました。


http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120217/1329461277
http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120817/1345189762
http://d.hatena.ne.jp/funaborista/20120820/1345445878
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3246.html
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-11212705564.html
http://blogblues.exblog.jp/15952024/


これらが、いわば私にとっての普段の努力=不断の努力(http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1065.html)、そして「種を蒔くこと」の一つです。


民主主義を前提としている以上、「他人を説得して考え方を変えてもらう」以外の「うまいやりかた」というのは存在し得ず、また存在してもいけない。
したがって「来週世界が滅びる」としても「種を蒔き続ける」しかない。
民主主義とは、我々にそういう義務、そして覚悟を求めるものだと私は考えています。


・・・・・・・・・・


apesnotmonkeys ‏@apesnotmonkeys

なんだか「民主に失望させられたので」とかなんとかいうツイートをちょくちょく見かけるけど、普天間問題においてこの社会のマジョリティが総出で鳩山の足を引っ張ったことはきれいさっぱり忘れてるみたいだな。


https://twitter.com/apesnotmonkeys/status/280321817313423360


・・・・・・・・・・


沖縄を捨てて、「出来もしない公約を掲げるのが悪い」と悪びれずに民主党を非難するのがマジョリティ。


即時脱原発を「非現実的」とすることで、「わかっているつもり」の優越感に浸るのがマジョリティ。


脱原発運動に日の丸を取り込んで、フツーの人も参加しやすくなったと自画自賛するのがマジョリティ。


自分たちが政党を媚びさせ堕落させたのに、選挙になるとどうせ公約は守らないからと嘆くのがマジョリティ。


そしてそれでも自らを反省することなく、政治が悪い政治家が悪いと愚痴を言いながら、結局自民党や維新の会に投票するのが日本の有権者のマジョリティ。


・・・・・・・・・・


今回の選挙結果を受けて、左派勢力が反省すべきは、


「安易に支持を広げようとして有権者を説得することを忘れ、それどころか有権者に媚び続けて、この戦いを『退却戦』にしてしまったこと」


であって、決して


「媚びが足りなかったから支持が広がらなかったのだ」


などと考えてはなりません。


「もっと媚びろ」と囁く「有権者との戦い」に、これ以上負けてはなりません。


この戦いは、私が↑で示したように、媚びたら100%の負け戦。
しかし媚びなければ、“有権者次第で”勝つ見込みの出てくる戦いなのですから。