バブルの原因

年末年始、面白いTVがまったくなくて、ついつい「池上彰の優しい経済学」なんてのをチラチラ見てしまいました。


第10回 バブルへGO!―なぜバブルが生まれ、はじけたか? 」も見たのですが、そこで語られたバブルの原因は、「プラザ合意を受けて、公定歩合が引き下げられて、金が余って土地に流れて・・・」といったようなことだけで、「結局あれは“度が過ぎた”のがいけなかったのだ」「ソフトランディングさえすれば・・・」というような話で終わってしまい、バブル時の、あの異常な株高の「本当の原因」については、結局触れられずじまいでした。


思えば今回に限らず、TV等で「あのバブルの本当の原因」について語られたことを、私はほとんど見たことがありません(あんまりTVは見ないので、もしどこかで語られていましたらコメント欄で教えてくださいね)。
だからこそ
バブル経済には実態がないと語る人もいますが、元より景気とはそういうもののはずです。
などと「無知丸出しのバブル待望論」を主張する輩が後を絶たないのでしょう。


なので、今回は「なぜ日本でバブルが起こったか」について書きます。
経済についてはあまりなじみのない方もいらっしゃると思いますので、池上彰氏に対抗して、


funaboristaが「バブル経済」をわかりやすく解説します!


日本のあの「バブル」、実は


「企業と証券会社がグルになって、無から有を生み出す『錬金術』を駆使した、崩壊するのが必然だった『幻の経済成長』」


だったのです。




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第二次大戦後、日本の企業は外国資本(主に米投資家)からの企業買収の危機にさらされることになりました。
戦争直後ですので、日本側にそれを防ぐだけの資金は当然ありません。
財閥はGHQによって解体されており、そうした旧財閥系の大企業は、つまりは「買収するのに手ごろな大きさ」になったとも言える訳で、危機感は相当大きかったと思います。
ちなみに、終戦時に日本全体の40%を占めていた五大財閥の株式は、GHQによって設立された持株会社整理委員会によって民間に売却され、その結果1949年には日本全体での個人株主の割合が70%にまで達していました。
個人株主の所有している株式は、価格次第ですぐに売られてしまいます。


そこで彼らはどうしたか。
各企業はまず「自分の会社の株式を(もといた旧財閥系の)銀行に買ってもらう」ことにしました。
そしてその銀行は「何があっても(倒産でもしない限り)その株式を絶対に売らない」とすることで、外国資本による買収を防ごうとしたのです。
旧財閥系によるメインバンク制度の始まりです。
もちろん旧財閥系でない企業も、このやり方に倣いました。


ただ、当初は独禁法により「金融機関の株式保有は5%まで」とされており、「一般企業に至っては株式の取得自体が禁止」されておりました。
しかし当時、株式の過剰供給から東京株式市場は大暴落していました(財閥解体の際、株式を強制的に市場に流したのだから、当然と言えば当然です)。
その買い支えの意味もあって、GHQ占領政策が終了した翌1953年、「金融機関の株式保有上限を10%まで緩和」「『会社間の競争を実質的に減殺することとなる場合』以外という条件つきで、企業の株式取得・保有自体を解禁」というように独禁法を改正しました。


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ところで、ある企業がもう一方の企業の株式を所有するというのは、所有する側の企業にとって資金面が大きな負担になります。
つまりは「お互いがお互いの株式を持ち合うことが合理的」ということになります。
なぜなら極端な話、A社とB社は新株を同額発行してお互いに購入し合えば、購入資金を別途調達する必要がありませんからね。


それから、もし買収先が行っているのが「2社間での株式持ち合い」であったなら、結局はその2社丸ごと買収してしまえばよく、資金的にも比較的容易でしょうが、もし「巨大な企業グループがお互いに少しずつ株式を持ち合っている」状態であったなら、それを丸ごと買収するというのは非常に困難になります。


このようにして「株式持ち合いによる企業集団の誕生≒旧財閥の形を変えた復活」が果たされることになりました。
(ちなみにこの「グループ各社で少しずつ株式を持ち合う」形態が、「どこも責任を取らない」「和を乱す者を排除する」日本社会にピッタリであることは言うまでもありません。)


岩戸景気の反動で証券不況が起こった時、1965年に日本証券保有組合が過剰に流通した株式を買い上げ、それを一時的に凍結しました。
再度市場に流通させる際(〜1969年)、個人投資家にはそれを購入する資金はなく、企業には外資による買収を防ぐという動機があったため、企業の株式持ち合い比率は更に進みました。


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株式の企業保有、それも相互持ち合いが増加したら、どういうことが起こるでしょうか。
株式というのは普通、利益に応じた配当をするものですが、株式持ち合いをしているグループ企業間で配当を出し合うことで実質相殺されるので、結局「一部の個人投資家の為に配当を出している」ことになります。
「それはバカバカしい」ということで、企業は今までのような「まともな配当」をしなくなりました
もし個人投資家が「増配せよ」と迫っても、株主総会で多数決によって否決されてしまうでしょう。


ところで当の個人投資家は、どうだったのでしょうか。
「株式購入は配当が目的であり、通常銀行金利国債との比較で購入するかどうかを決める」というのが「普通の=教科書的な」説明ですね。
しかし、もはやまともな配当は期待できません。
それでも「法人買いによる株価上昇」は続いています。
というのも、1966年に日米貿易経済合同委員会で日本はアメリカに「資本自由化」を約束し、日本企業はその対策としての「安定株主工作」を更に進めていたからです。
株価はもはや配当性向によって決まるものではなく、需給関係によって決まるものになってしまっていたのです。
こうして、利回りを当てにする個人投資家国債等に移ってしまい、株式投資は値上がりによる売買差益だけを目的とした「投機」へと変質していきました。


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1960年代まで、日本で増資と言えば既存株主への「額面割当増資」でした。
これは、企業が新たに株式を発行する際、今株式を持っている人にその新規発行分を割り当てる(言い換えれば既存株主に新株取得の権利がある)というものです。
この場合、当時は1株50円という単位の株式が多かったそうですが、市場で取引されている株式は当然市場価格で取引(A社の株が市場価格1000円なら1000円で売り買い)されたとしても、新規発行分の株式は額面の50円で販売されることになります。


この方法に対し「企業は努力して株価を上げても、株価1000円の企業も100円の企業も増資の際の一株当たりの手取り金は変わらない(上の例なら50円)、これではマーケット・メカニズムが働かない。」との主張が出てくるようになりました。
そこで増資の方法として、これまでの「額面割当増資」に代わり、「時価発行増資」が行われるようになります。
これは、企業が「その時点での株式市場の『時価』で株式が発行できる」というものです。
(ちなみに、時価発行増資の第1号は1969年の日本楽器(現ヤマハ)です。)

たいていの企業の株価は 額面<時価 ですから、数年後にはほとんどの企業の増資方法が「時価発行増資」に切り替わりました。
また、「時価発行」ということは、つまりは株式所有者に新規株を購入する権利を保障するということに意味がなくなりますので、必然的に購入者を「公募する」という形になり、これを「公募時価発行増資」と呼びます。


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時価発行では、増資する時点での株価ができるだけ高い方が、増資による実入りが多いことになります。
(1億株発行するとしたら、株価が1円高ければそれだけで1億円の収入増です。)
では、株価を高くするためにはどうしたらいいか。
通常は「業績を良くする→配当を上げる」というのが「王道」なのでしょうが、「業績を良くする」というのはそう簡単にはできませんし、「配当を上げる」については、そもそも前述の理由により「配当自体をしなくなって」しまっています。
しかし、「安定株主工作」によって株価は上昇しています。


ここで、ある人が考えました。
「そうだ、事前にグループ会社に自社株を買ってもらって、株価を高く釣り上げてから増資すればいい。」
そのある人とは三光汽船の岡庭博氏の事で、彼はこの手法を「高株価経営」と呼びました。
三光汽船は1971年から1974年までの間に4回の時価発行を行い、計912億円の資金を調達しました。


いくら株価が需給関係で決まるからといっても、自社株を購入して株価を操作することは法律で禁止されていますし、他社の株であっても「一時的に」購入して株価を操作することは違法です。
しかし、その株式購入が「恒常的」なものであれば、つまり購入した株式をすぐに売らなければ、たとえその目的が株価操作であったとしても違法ではありません(おかしな話ですが)。
時価発行増資は、こうして「発行会社による株価への介入」「安定株主工作の恒常化」を促進することになりました。


こうして「安定株主工作」は、当初の「乗っ取り防止」から「高株価経営」のためへと目的が変化したのです。


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新株の発行や、転換社債の起債などの新株の発行を伴う資金調達のことをエクイティファイナンスといいます。
エクイティファイナンス」で調達した資金は返済義務がなく、貸借対照表の純資産の部に入ります。
一方銀行借入や普通社債などはデットファイナンスといい、これは返済の義務を負う資金調達の為、貸借対照表の負債の部に入ります。


ここで、一つの例を考えましょう。
まずA社がB社に、新株発行のための安定株主工作を依頼、100万株を購入しました。
次にそのお返しに、B社がA社に安定株主工作を依頼、同じく100万株を購入しました。
購入金額は同額だったとしましょう。
するとこの状態は、実は私が先に書いた、


「極端な話、A社とB社は新株を同額発行してお互いに購入し合えば、購入資金だって必要ありませんからね。」


と全く同じなのです。


このようにお互いに持ち合っている株式に、実体としての「価値」や「富」はありませんが(理論上無限に持ち合いの量を増やすことができる上、それが流通したら株価が下がるからです)、それでもこれは貸借対照表でいえば「純資産」なのです。
こうして株式の持ち合いによって、「企業の資産がその実体よりも大きいもののように錯覚される」ようになってしまいました。
これを「株式持ち合いによる資本の空洞化」といいます。


これが1970〜80年代に日本で起きた「バブルの正体」です。


つまり「バブル」とは、タネもシカケもある「株式持ち合い」というマジック、企業と証券会社が日本社会に仕掛けた「詐欺行為」であり「イカサマ経済」そのものだったのです。


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1980年代、日本ではエクイティファイナンスが急増しました。
1987〜89年の3年間で合計53兆8000億円のエクイティファイナンスが行われています。
ところで、新株を発行して資金を調達すれば、当然市場に「浮動株」が増えますので、株価は下落してしまいます。
したがって、次に新株を発行するときには、またあらためて「安定株主工作」を行って、浮動株を吸い上げることが必要になります。
新規発行が増えれば、その分多くの浮動株が発生するので、買い支えるために必要な資金も大きくなります。
バブルの後半には、その安定株主工作のための株式購入の資金の、結局そのほとんどをエクイティファイナンスで得た資金で賄わなければならなくなってしまいました。
これは言ってみれば


「いくら新株を発行しても市場に流通している株式は増えず、持ち合い株式だけが積みあがっていく」

というスパイラル、まさに自転車操業そのものです。


1949年にはわずか15.5%だった株式の法人所有比率は、1969年には52.7%、そして1989年にはとうとう67.1%にまで達しました。


このような「自転車操業」が、いつまでも続くはずがありません。
いつかは破綻が訪れます。
新規株式の過剰発行(オーバーイシュー)により市場に浮動株が多く出回り、安定株主工作による需給コントロールが効かなくなった時、それまで持ち合い株式を高く積み上げた分だけ、株式は暴落してしまいます。
一旦下落した株価を買い支えるための資金は、もともと株式売却益で賄っていたためにもはや調達不能になってしまい、下落した株が売却されることが更なる下落を促進してしまうからです。


それがとうとう現実に起きたのが、1990年の「バブル崩壊」でした。


バブル崩壊は、バブル形成の当然の帰結だったのです。


1989年12月の大納会日経平均株価は38,915円でした。
それが1990年末には、23,848円。
たった一年間で実に26%以上株価が下落したのです。
こちらをご覧いただけば、バブル崩壊前数年間の株価「だけ」が突出して異常であることが理解していただけると思います。)


ちなみに、これを書いている現在の日経平均株価は10,801円です。


38,915円と10,801円、どちらが経済の実態に近いかは言うまでもありません。


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今回の 「funaboristaが「バブル経済」をわかりやすく解説します!」 はここまでです。


今日は自分が池上彰氏になったつもりwで、日本のあの「バブル」について解説してみました。
私の筆の拙さも大いにあるかとは思いますが、それを差し引いても決して「わかりやすい話」ではなかったと思います。
ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございます。


今回のバブルの話は、奥村宏氏の「法人資本主義」論をベースにしています。
funaboristaの話は(池上氏と違ってw)わかりにくいと思った方、
またはもっと詳しく知りたいと思った方がいらっしゃいましたら、
最後に(久しぶりに)Amazon貼っときますので、是非一度読んでみてください。




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