解説「Prosperity Built By Abenomics」

もう3週間ほど前になりますが、ブログのトップ記事を「橋下徹のうた」から「Prosperity Built By Abenomics」(アベノミクスによる好景気)に変更しました。


この「Prosperity Built By Abenomics」(アベノミクスによる好景気)に貼ってある動画は、Monty Pythonの「Flats Built by Hypnosis」(催眠術で建てたアパート)です。


(この映像は久々にツイートしました(1年ぶり2回目w)。リフレ懐疑派にも、リフレ派にも、反安倍派にも、きっとクスッと笑っていただけるものと思っています(親安倍派はムリかな)。なんで笑ってもらえるのか、は以下で解説しています。もし気に入っていただけましたらリツイートしてください(なんてやる気のない宣伝なんだw)→https://twitter.com/funaborista/status/346589342891900929


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ある地方議会で「催眠術によるアパート建築」が採用されました。
催眠術師が宙に向かって手をかざすと、あら不思議。
一瞬にして立派な高層アパートのできあがり。
ただし安全性については、住人が“疑わないこと”が条件。
「住人が信じることをやめたとき、このアパートは崩壊する」というのが議会からのお達しです。
そんな話題のアパートにTV番組がやって来てインタビュー。


住人「住み心地はなかなかいいですよ」
インタビュアー「でもこれ、催眠術で建てられたアパートなんですよね。」
住人「ええ。・・・そういえばこのアパート、本当に建っているのかな?」


ふと疑問に思った住人。とたんに傾き始めるアパート。


住人「あーっ、建ってる建ってる、間違いなく建ってるー!」


倒れかけた状態から回復するアパート。


住人「ふーっ、危ないところだった。」


(と、“日本語での吹き替え放送”ではだいたいこんな感じだったそうなんですが、今回元の英語版を見ると、「インタビュアーに“以前の生活の方がよかったのでは”と水を向けられ、もしかしたらそうかもと住人が思い始めたとたんに崩れ出すアパート」といった内容で、「疑う」の部分が少々違った感じになってますね。ちなみに台本はこちら→http://www.montypython.net/scripts/mystico.php


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この動画に「アベノミクスによる好景気」というタイトルをつけたのには、2つの意味があります。


まずは、英語版の「以前の生活の方がよかったのでは?という結果が待っているであろうアベノミクス」。


そして、日本語版の「インフレになると信じなければ、景気が回復せずに崩壊してしまうアベノミクス」。


つまり、


アベノミクスとは、我々の実体経済に作用することができない虚構のようなもの」


という意味と、


アベノミクス/リフレが成功するためには、私たちは催眠術にかかる必要がある」


という意味の「2つの意味」を込めているのです。


「以前の生活の方がよかったのでは?」(こう書くと、すぐに「デフレ派」なるレッテルを貼る人が世の中にはいらっしゃいますが、それでもまあこんな辺境にまでは来ないでしょうw)については、2/1の「アベノミクス」ですでに書きました。
しかし、「インフレになると信じないと」については、まだこのブログでは書いていません(よそのブログのコメント欄ではちょっとだけ書きました)。
もしかしたら今これを読んでいる少なからぬ人が、「インフレになると信じるってなに?信じるとインフレになるの?っていうか、そんなんで景気が良くなるの?」って思っているかもしれません。
わかる人だけわかればいい、ってのは、このブログの志向するところではありません(“素人がお花畑めざして歩いてます、あなたも一緒にどうですか”ってのがこのブログのコンセプトでもあり、大きく言えばそれこそが民主主義の基本だと思っています。なので、最近のマニアックなエントリーについてはホントに反省していますってホントに)。


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ということで、そのメカニズムについて、なんか書こうとしたのですが・・・


・・・私にはムリ!


だってそれが起こせる可能性に、もともと懐疑的なんだもの!


で、ですよ。
そうだ、リフレ支持者の方たちだったらそれなりに説得力があるように書いてあるだろうから、そん中でイイのをチョコット拝借しよう、なんて思って探したんですよ。でも・・・


・・・これもムリ!


だって、それが起こらない可能性なんか全くありえないかのような自信満々なものしかないんだもの。


人の心次第で起こせるも起こせないも決まるって話なのに、政策担当者の“起こしてみせます”はまだギリセーフでも、外部の人が“絶対起きます”なんて言っちゃったら、そりゃトンデモでしょ。


で、どうしようと考えていて、思い出しました。
以前、「『期待』という名のお化け」で省略した部分が、そっくりイイ感じで、今回私が書きたいことに近いことに。
なにより、それぞれの説の“ビミョーな感じ”が表現されているのがイイ。


・・・ということで、前回省略した部分のうち、3.と5.を紹介したいと思います(これで前回と合わせると、ほとんどの部分を紹介してしまう形になってしまいました。いいのかな?)。


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今回引用する部分のタイトルは「錯綜」と「混乱」ですが、確かに「リフレ」周辺の経済理論を巡る言説は、昨今のアベノミクス本の出版状況(「正しい」と「ヤバい」の罵り合いw)を見てもわかるとおり、「錯綜」と「混乱」を極めております。
アベノミクスは「物価が上がると予想させて景気を良くしよう」という「リフレ」という考え方をベースにしておりますが、まずは「錯綜」と「混乱」を乗り越えて、これがいったいどのような発想に基づく考え方なのかを理解しない事には、これから起こることの予想もできませんし、それに近く行われる参議院選挙を「経済政策については何もわからないまま/判断できないまま」投票してしまうことにもなってしまいます。
「リフレ」は、現時点では学問的な評価が確定していない分野であり、その意味で「アベノミクス」は「壮大な社会実験」とも言われています。
しかし、それでも「ここまでは言える」という部分はもちろんあります。
「リフレ」についての議論を「神学論争」で終わらせないようにするためにも、まずは「『物価が上がると予想させると景気が良くなる』とはどういう考え方なのか」を、今でもよくわからないという方がもしいらっしゃいましたら、今ここでお勉強しちゃってください。
(後半のほうは少々難しい部分もありますが、話を切らない方がいいと判断してそのまま掲載します。ご了承ください)


こういうのを読んだとき、経済に専門ズレしていない人ほど、頭の中に???と疑問が浮かび上がってくる、と思います。
でもそれを、現時点での理屈だけでムリヤリ納得しようとしたり、「エラい人が言ってるんだから」と無かったことにする必要はありません。
その???は、その話(今回ならばリフレ)が“そもそもの前提について触れていないため”だったり、だからこそココでの???が、意外と“痛いトコロ”を突いていたりするもんだったりしますから。


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(以下「リフレをめぐる『期待』という名のお化け」より引用)


3.不況の原因に関する議論の錯綜


不況とは、生産量が減少し、失業者が増加することである。
モノが売れないために物価下落が起きる。
不況を解決するには、不況の原因を特定することが最も望ましいが、二〇年近くも続く不況については、原因が全く特定できないのが現状なのだ。


構造改革派は、不採算産業部門に労働者や設備などの生産要素が配置されていることが経済を停滞させていると考える。
したがって、市場の自律的な回復力を促すために市場機構をゆがめている構造問題を解決すべしと提案する。
他方、ケインズ派は、市場の価格調整に不具合があって、供給能力に比べて需要が足りなくなり、失業や設備の有給が起きると考える。
代表的な見解として、ニューケインジアン説、クルーグマン説、小野説がある。
ニューケインジアン説とクルーグマン説は、基本的に価格が柔軟に伸縮しないことに原因を求める。
将来の消費に比べて現在の消費が相対的に不利な状態のまま固定されているために消費者が買い控えをするから不況になると考える。
現在の消費が将来の消費に比べて不利なのは金利が高すぎるからである。そして、金利が高いのは、貨幣供給量が不足だからだと考えるのである。
それに対し小野説は、原因を現在の消費の不利さに求めるのは同じだが、それを貨幣量の不足に帰着させないところで袂を分かつ。
現在の消費よりもおカネを持つことの魅力に取りつかれているから消費をしない、と考えるのである(貨幣の限界効用の非飽和性という)。
この場合貨幣供給量が十分でも不況が起きる。


リフレ派は、基本的にニューケインジアン説やクルーグマン説の貨幣量不足説に与する。
例えば、浜田氏は『アメリカは日本経済の復活を知っている』の中でこう説明している。
すなわち、貨幣供給量が不足していることから、貨幣のモノに対する価値が上昇するデフレが起き、円通貨が外国通貨に対して増加する円高が生じ、それらがモノを売る妨げとなるから不況になる。それゆえ、不況は日銀の責任だ、と。


これらの伝統的な学説とは異なる新しい説として最近注目を集めるものに、吉川洋氏の『デフレーション』がある。
これは名目賃金の下落にデフレの原因を求めている。


 


5.インフレ目標をめぐる混乱した議論


貨幣供給量の増加によるインフレ目標政策に対する議論は、非常に混乱している。
たとえば、安倍内閣は現在、企業への賃上げを要求している。
しかし、これはリフレの原理からは説明がつかない
第三節で述べたように、ニューケインジアン説やクルーグマン説は、不況の原因を価格や賃金の高止まりに求めている
この場合、賃金が下がって企業が雇用を増やせるようになるのが景気回復の道につながる、と考えるのが通常の理解だ。
安倍政権の政策はこれと正反対である。
もちろん、リフレを政治運動と捉えるなら、労働者を有利にする「理論の歪曲」もありかもしれない。
また、吉川説に与するというなら、むしろ正しい判断だろう。


ここではクルーグマン説を使って、インフレ政策をめぐる混乱がどこに由来するかを説明したい。
まずは、読者もご存じの駆け込み需要のしくみから。
これは来期の増税に備えて、来期の需要が今期に前倒しされ、今季の需要が増える現象だ。
しかし、来期の消費はその分減少するので、二期分を均してみれば通常と変わりない消費量となる。
クルーグマンインフレ目標政策は、似た仕組みだが根本的に異なるところがある。
クルーグマン説では、今期の需要の一部が来期の生産物に向かっているために根気が不況になっている。
一方、来期は完全雇用経済だと仮定される。
そこでクルーグマンは、今期の物価を下げることができないから、「来期にインフレが起きるという予想」を中央銀行が形成すべしと提案する。
このとき、駆け込み需要と同じ仕組みで、来期の生産物に向かっていた今期の需要が今期の生産物に戻ってくる
これによって今期の生産は増加し、失業が解消される。
一方、来期は完全需要との仮定から、今期の需要が今期の生産物に戻って行っても、来期の生産能力を消化できるように来期の需要が増加し、来期の完全雇用は維持される
ある意味、手品のような仕組みなのである。


この説明からわかるように、大事な点は、「今期にインフレが起きる」ことではなく、「来期にインフレが起きる予想を形成する」ということだ
これは岩田氏の議論と同じである。
そして、ここが全ての混乱の出所なのである。
この議論では、今期のインフレはむしろ逆効果となる(今期のデフレと来期のインフレが同値であることから理解できよう)。
だとすれば、今期に貨幣量を増やすことはいったいどんな意味を持っているのだろう


そもそも「今期と来期」と言う形で議論をつくることに混乱の火種があるのだ。
時間は「今期と来期」のようにぶつ切りになっているものではなく連続的に流れている。
「現在デフレ圧力がある」中で、「現在貨幣を増やす」ことが、なぜ「将来のインフレ」を生み出すのだろう。
緩和は常に「現在」の出来事である。
そして、インフレは常に「将来」の出来事と想定されている。
この二つの時空がどこかで交わるというのか。
議論のこのような不可解さは、ニューケインジアン説にもクルーグマン説にも見られ、その原因は連続時間でなく離散時間でモデルを組んでいることにある(小野説は、連続時間でモデル化されていて例外である)。


中央公論2013年5月号掲載(大文字強調はfunaborista)