古典で学ぶ「貨幣数量説」

こうして長男をまず始末した悪魔の頭領は今度はタラスの国へ出向きました。
悪魔は商人に変身してタラス王国に移り住みます。
店をかまえて、早速お金を気前よく使いはじめました。
商人がどんな品物にも高い値段をつけて買い取りはじめたので、門前に市をなす人波ができました。
ここへ来れば誰でも気軽に金が手に入りました。
こうして国民のふところにもお金が唸るほどたまりましたので、国庫への未納金や滞納金がすべて一掃され、期日にはすべての税がとどこおりなく納められることになりました。


タラス王は大喜びです。
「ありがとうよ、商人さん。おかげでわしのところは今期も余分にお金が入りましたわい。これで暮らしむきも一段とよくなりましょう。」
とほくそ笑みます。
タラス王は新たな計画を思いつき、宮殿を新築しはじめます。
そこで国民におふれをだして、材木や石材を運んだり、就労を希望する者には、その代価や労賃をうんとはずむと約束しました。
タラス王は昔どおり、お金次第で国民はわんさと働きにきてくれるものだとばかり思っておりました。


ところが、あにはからんや、今度ばかりはそうは問屋がおろしません、材木や石材はすべて商人のところへ運ばれていき、労働者もみな商人のもとへ足を運ぶのです。
タラス王は〔代価と労賃の〕どちらの値段もはずみましたが、商人のほうはもっとはりこみます。
タラス王は大金持ちでしたが、商人はそれよりも大金持ちなのです。
商人の買い値が〔人についても物についても〕王の釣り値を文句なく圧倒いたします。
王宮の新築はこうして計画倒れにおわりました。
しかしタラス王には別に造園の計画がありました。
秋になりました。
タラス王は庭園づくりに来てもらおうと、国民におふれをだしましたが、誰ひとり顔をだしません。
人足はみんな揃って商人の庭で池掘りをしています。
冬になりました。
タラス王は自分の外套を新調するために黒貂(こくてん)の毛皮を買おうと思いたちました。使いのものを買いにやりましたが、それが帰ってきてこう申すではありませんか。
「黒貂の皮はございません。皮革という皮革はみな商人のところへ流れました。人一倍たかいお金を奮発して黒貂の皮を買い占めて絨毯をつくらせたのでございます。」


タラス王は自腹をきって種牡馬を買う必要ができました。
使いの者たちを買いつけにやらしましたが、帰ってきて言うには、良血種の牡馬はみな商人のところで、池に水をはるために使役されているとのことでした。
王さまの事業はみなぽしゃります。
商人には誰もかれもがよくつくすのに、王さまに力を貸そうなどというけなげな人はでてきません。
王さまのもとには商人のお金がまわりまわって税として運ばれてくるだけです。


王さまのところには置き場所もないほど金が唸っておりました。
でも暮らし向きは悪くなる一方でした。
もう王さまは計画をたてる夢もすてました。
今では何とかかとかその日その日を生きのびるのに精一杯、それもしだいにかなわなくなってきました。
何ごとにも不自由するようになりました。
料理番も馭者も召使いも王家をみかぎって、商人のところへ鞍がえしました。
食べるものにもことかくようになります。
市場へ買物に人をやっても、品切れで何ひとつありません。
何もかも商人が買い占めてしまって、王さまの手許に運びこまれるのは、税からあがるお金だけになりました。


タラス王は腹にすえかねて、商人を国外へ追放しました。
追放された商人は国境をまたいだすれすれのところに居すわり、あいかわらず店をかまえて商売をつづけています。
いままでと何ひとつ変わらず〔人も物も〕すべてが商人の金力によって王さまを離れ、商人の手許に曳きこまれていくのです。
王さまの暮らしは完全に悪化しました。
くる日もくる日もまる一日、食べるものにもこと欠く有様です。
まだそのうえにこんな噂が津々浦々まで流れました。
例の商人がそのうち王さまから王妃の身柄を買いとって好きなようにしてやると大口をたたいているというのです。
タラス王はすっかり怖気づき、どうしたものかと途方にくれるばかりです。


(法橋和彦「古典として読む『イワンの馬鹿』」より)


古典として読む『イワンの馬鹿』

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