古典で学ぶ「貨幣数量説の限界」

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悪魔の頭領は一見、非のうちどころのない紳士になりすまして、イワン王国の住民として越してきました。
かれは〔かつて〕太鼓腹のタラス〔に仕組んだ〕と同じように金の操作でイワンを痛めつけようと狙っているのです。
「わたしはあなたがたに富を授けてあげたいと思います。その知恵と秘訣を教えましょう」ともちかけ、「わたしはあなたがたの傍らに家を建て、お役に立てる店も出しましょう」と約束します。
「よいとも、よいとも、しっかりおやりよ」と馬鹿たちは一も二もありません。


くだんの紳士は一夜をあかしたその翌朝、広場にでかけて、金貨のつまった大きな袋と一枚の図面をもちだし、こうのたまいます。
「みなさんの暮らしぶりは豚同然ではありませんか。わたしはこれから、どんな暮らしをすべきかをみなさんに教えてさしあげたい。それにはまず、わたしに家を一軒、この設計どおりに建ててください。指図はわたしがいたしますから、みなさんは労力をおかしください。働いてくださるお礼にこの金貨の山をみなさんの支払いにあてましょう」と。


こう言って、金貨の山を指さしました。
馬鹿たちは驚いて目をみはります。
お金などだれも今まで見たことも聞いたこともありません。
ふだんからおたがいどおし物々交換しあったり、貸し借りは力仕事を出しあって片づけてきたからです。
「立派なものだ」と感嘆したり、「すごい出来栄えだ」と口ぐちにほめるのです。


そして誰もが金貨ほしさに資材や労力を紳士に提供するようになりました。
悪魔の頭領はタラスの国でしたように、ここぞとばかり金貨を放出しはじめます。
こうして金貨と交換にどんな品物でも、どんな種類の労働でもかれの手に入らぬものはありません。
悪魔の頭領は『はやわがこと成れり!』とばかりにひそかに快哉を叫び、『今にあの馬鹿者イワンをタラス同様、素寒貧にしてくれよう。奴を心の臓まで買い取ってやる。』と胸勘定をするのです。


ところがどうでしょう。
馬鹿男たちは金貨を手にすると、すぐにすべての女たちに、首飾りにするようにと言って分けてやりました。
若い娘たちはこぞっておさげの飾りに捲きそえるわ、子供たちまでがおもてで玩具にして遊びだしました。
誰もかれもがありあまるほど金貨を手にするようになり、もうそれ以上あつめる必要がなくなりました。
ところで、くだんの紳士の豪邸のほうは、半分ほど建ったところで工事が中断され、それに穀物のほうも家畜のほうも、その蓄えがこの一年分に達するにはまだ心細いありさまです。


そこで紳士は自分のほうへ働きに来てくれるよう、自分に穀物を運んだり家畜を連れてきてくれるようにと依頼状をだしました。
物や仕事のお代としてどっさり金貨を支給する旨を明記しました。
しかし誰ひとり働きにも来なければ、何かを持ってくる人の気配もありません。
たまに小さな男の子や女の子がこっそり卵をもって金貨に換えておくれと駈けてくるのが関の山です。
ほかには誰も姿をみせません。
こうして紳士は食べるものにもこと欠くようになりました。


一分の隙もないような紳士でもひもじさには勝てません。
せめて一食分でも手に入れようと、村のほうへ買い出しにでかけます。
農家の軒先に首をつっこみ、金をだして牝鶏を買おうとしますが、おかみさんは金をうけとろうともしません。
「うちとこは、こんなもの、くさるほどありあまっています」と剣もほろろに断られます。


今度はやもめになった水呑み百姓のところへ首をだし、鰊を買おうと金を出しかけます。
「だんなさん、悪いがうちはいりません。うちは子無しで〔それを玩具に〕遊んでやるにも相手が無いもので。だけども珍しいので、三つばかりは同じものを取ってありますよ」とまた相手にされません。


パンにありつこうと別の百姓家へ首をだします。
その百姓も金はうけつけません。
そのかわりにこう申します。
「金はいりません。でもキリストさまの御名のためにお恵みをとおっしゃるのなら差しあげましょう。そうせかしなさんな。いまかみさんに切らせますから」と。
〔キリストさまと聞くなり〕悪魔はたまらずぺっと唾まで吐いて、急いで百姓家から逃げだしました。
キリストの御名のためと言われてはパンをいただくわけにはまいりません。
悪魔にとってこの言葉を耳にすることは、ナイフで身を切られるよりずっと辛いことなのです。


こうしたわけでパンも手に入りません。
金貨は誰もが十分ためこんでいます。
悪魔の頭領がどの戸口を叩いても、お金では誰も何ひとつわけてくれないのです。
かわりにどこでもこう言われます。
「何かべつの物を持ってきなさいよ。それとも働きにおいでなさい。それも嫌ならキリストさまにお恵みを乞わんとな」と。


ところが悪魔はお金のほかには何も持っていません。
そうかといって働くのは気がすすみません。
ましてやキリストさまのお慈悲にすがるなんてことは口が裂けてもできぬ相談です。
悪魔の頭領は腹をたてました。
「わたしがきみらにお金を出そうというのに、まだそのうえ何が欲しいというのだ? きみらは金で何でも買えるし、どんな良い働き手だって傭えるだろうに」と腹の虫がおさまりません。


馬鹿たちはそんな愚痴に耳もかしません。
「いや、わしらにはお金など無用の長物だ。わしらの暮らしからは賃金とか、やれ税金とか、およそ金と名のつくものは一切御法度になっている。で、金があったところで、何の使い道があるというのか?」といった次第です。


(法橋和彦「古典として読む『イワンの馬鹿』」より)


古典として読む『イワンの馬鹿』

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