私が「リフレ」に賛同しない理由

「一夜漬け・選挙に出る『アベノミクス』」の後篇です。

前編」をご覧になっていらっしゃらない方は、まずそちらからお読みいただけるようお願いいたします。

(「前編」で5.まで書きましたので、「後篇」は6.から始まります)


6.内需拡大策は打ち出せない


前回の最後に、私は

>いずれにせよ、円安で企業が外需で取り込んだ富を、いつかは賃金として(もしくは法人税として)家計サイドに流さなければ、景気は循環しない(内需は拡大しない、経済成長しない)わけでして、では「アベノミクス」は、この先いったいどのような「内需拡大策」を予定している(と予想できる)のでしょうか・・・

と書きました。


結論から言うと、安倍内閣は自ら抜本的な内需拡大策は打ち出せないでしょう。


最低賃金10円程度の引き上げ」等の“ザル対策”(現時点で多くの労働者は最低賃金でなく、そもそも「正規→非正規」の置き換えが進んでいる現状に対応不能)はできても、根本的には「企業が自主的に賃金を上げてくれるのを、いつまでもただ待つばかり(たまに形式的にお願いなんかしてみるけれど)」になるものと思われます。

なぜか。

「リフレ政策」とは「『リフレ』と『トリクルダウン』
でも書いたように、大抵の場合「企業が先」として行われる政策です。

「企業が先」ということについて、こんなこと言うと意外だと思われる方がいらっしゃるかもしれないですが、私としては“気持ちはわからないでもない”のです。

もし、先に企業にではなく、家計に緩和マネーを投入したら、将来への不安からその多くを貯金してしまうかもしれません。

その場合、経済は循環せず、景気も向上せず、経済成長もしないので、投入した資金は直近の景気対策としては全くの無駄になってしまうでしょう。

また、“景気対策として家計に直接資金を投入するということは、過去あまりやってないという意味でギャンブルであり、オーソドックスな「企業が先」の景気対策をやるべきである”とした人もいました。

ということで、とりあえずそこ(企業が先)までは(私自身は“家計が先”を重点的に実施した方がいいと思うけれど)認めるとして、問題はいつ「賃金を上げるか=トリクルダウンさせるか」ということです。


ここで、2003〜7年の好景気を思い出してください。

あの時、企業の内部留保は過去最高だったにもかかわらず、賃金は下落しました

ここで、多くのリフレ懐疑派は「企業の業績は上がったのに賃金を上げなかったから、だから内需は縮小し、だから景気が後退してしまったのだ」と考えます。

しかし、リフレ支持派は違います。

インフレ期待が十分に醸成されなかったから、つまり量的緩和が足りなかったから、消費も投資も伸びず、景気が後退してしまった、その結果賃金も下がってしまったのだ」と考えるのです。


ところで、現政権の経済ブレーンは、ほとんどすべてが「リフレ支持派」です。

一方現時点で、「(一部の)企業の業績は上がり、賃金はまだ上がっていない」という状況が生まれつつあります。

各企業は、別に好き好んで賃金など上げたいとは思わないでしょう。

(自分だけ賃上げせずに、他社の賃上げにタダ乗りしたい、というのが本音)

であれば、そんな企業はここで一言、こう言ってしまえば賃金を上げる必要がなくなるのです。

「まだ賃上げが可能なほどに業績は改善していない」

なんせ、あれだけ企業が内部留保を貯め込んだ2003〜7年をして、まだ「賃上げに至るまでには足りなかった」というのが、リフレ支持派の評価なのですから。


7.内需拡大策は打ち出せない(その2)


ここまでは「A.マネタリーベース増→インフレ期待→好景気」の理路における内需拡大策の不可能性について書いてきましたが、「アベノミクス」というのは、実は「B.マネタリーベース増→好景気→インフレ期待」の理路についても対応していて、こちらについても同じことが言えます。

アベノミクス」は、Bのように考える人向けの政策として、
「政府が法人税減税などの政策をチラつかせることで、企業に『好景気予想』を醸成し、それによって投資を促し、それによって景気を向上させ、その結果インフレが起こる」と予想させています。


つまり「アベノミクス」には、「企業優遇→好景気→インフレ期待」という予想ルートも確保されているのです。


ということで、具体的には法人税減税」「労働力の流動化」等が予定されており、これは近い将来ほぼ確実に実施されるでしょうが、これについても、いつまでも「まだその政策は継続されるべきである」とする方法があります。

それは、先の方法と同じく、いつまでも賃上げしないことです。

そうすれば、
「企業が賃金を上げない。これは“上げない”のではなく“上げられない”、つまり『いまだに賃上げが可能なほどには業績は改善していない』のだから、企業優遇策については継続、そしてさらなる拡大が必要である」
と政府は考えてくれるからです。

もし、万が一政府が(財政の面から)更なる企業優遇に及び腰でも、リフレ支持派の人々がこう言って背中を押してくれるでしょう。


「“いざなぎ越え景気”の時の失敗を繰り返すな。もっと緩和を!もっと企業優遇を!」


いずれにしても、「期待/予想にはたらきかける」経済政策というのは、それが起こらないのは「期待/予想が十分に醸成されていないから」という結論に至るので、いつまでたっても成果が得られず、したがっていつまでたっても「企業が先」の政策に留まることが可能なのです。

これについては、こちら(参考:http://totb.hatenablog.com/entry/2013/07/15/235200)の「誠意大将軍」という表現が言い得て妙です。

「一生君のことを愛し続ける」と相手に信じてもらうためには、一生貢ぎ続けなければなりません!

そして一生貢がせ続けるためには、愛に応えてはならないのです!!


ここまでの考察をまとめると、

もし「賃金デフレ説」(吉川説)が正しい場合は「永遠に」、

もし「デフレ→賃下げ説」(岩田説)が正しい場合には「インフレ期待がさらに高まって、賃金が上昇しないにもかかわらず家計サイドが一方的に消費を増加させなければ」、

好景気にはならないのです。

(しかも賃金上昇が起こるためにはこれだけでは不足で、労働力不足が起こるほどの経済成長が必要なのです。賃金=需要力は増える前にどうやって?)


8.内需拡大策を「あらかじめ織り込んで」おくことはできない


では、内需拡大策を事後に打ち出すことができないのなら、初めから織り込んでおけばよかったのでしょうか?

いいえ。

「リフレ政策」を実施するとした政府は、「内需拡大策をあらかじめ織り込んでおくという」ことはできないのです。

なぜか。

内需拡大とは、賃金アップにしろ法人税増税にしろ、企業サイドに負担を求めるもの内需=家計ですから)です。

「期待/予想にはたらきかける」政策をとる場合、これはマイナスの効果をもたらします

マイナスの効果をもたらすということは、将来の賃金や、法人税の税収が減るということですから、「リフレ政策」にとっては「間違った施策」ということになります。

以上の理由から、「期待/予想にはたらきかける」政策では、将来の企業負担を織り込んでおくことはできないのです。


とはいえ、もし企業が「将来景気が回復したら企業負担が増える」ということを、「リフレ政策」を実施したにもかかわらず認識し続けているとしたならば、・・・もしあなたが企業経営者であればどうしますか?


将来の負担増に向けて、内部留保を増やそうとしませんか?


つまり、「政策としては織り込んでない」内需拡大策に伴う企業負担増を、企業は、よっぽどのアホ経営者でなければ、それを織り込んだ行動をしている、という可能性が非常に高いのです。


もしそうであるならば、「リフレ政策」はいつまでたっても成功しません。


結局、経営者がよっぽどのアホでもない(もしくは経営者が私利私欲を捨てない)限り、「期待/予想にはたらきかける政策」というのは、いつまでたっても終わらない永久革命となるのです。

(誰ですか? それも含めて、その上で「やっぱりアベノミクスは成功する」なんて言ってる人はw)


9.見たくないものを見ないための「期待/予想にはたらきかける政策」


ところで、「期待/予想にはたらきかける」政策には元手がいらないのかというと、(どんな政策でもそうですが)もちろんそんなことはありません。

法人税減税」などの「好景気期待」の企業優遇策には、将来の消費税増税で埋めることが予定されている(体のいい「家計→企業」の所得移転ですね)ようですが、「国債の日銀買い取り」という「インフレ期待」の金融緩和策には、「大量の国債発行」という「将来の負担及びリスク」が存在します。

それについてはここでは深く触れません。
(もし詳しく知りたいという方がいらっしゃいましたら、まずはこちら(「なぜいま量的緩和は制限されているのか」)と、そこで紹介されているこちら(「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」を参考にしてください。


結論だけ言えば「『国債の利払いに紙幣を刷る=国債を発行する』状態にまでなったら、それは事実上の破綻」ということです。

そして国債は国内保有だから破綻しない」は、“見たくないものを見ない”詐欺的言辞、催眠術師の言葉なのです。

(もっとも、そんなことを言って憚らない輩は“右にも左にも”大勢いらっしゃいますが)


その点についてリフレ支持派は、さすがに「原理的に破綻しない」論者こそ少ないものの、ほとんどの人は“そのリスクは限りなく小さい”と主張します。

そして、経済のパイを大きくしなければ、再配分するパイも増えないと言い、そもそもパイが増えればリスクも小さくなり、それこそが家計サイドにとっても利益になるのだ、と続けるのです。

(さらには「景気回復のための内需拡大のために、再配分先行を主張する」リフレ懐疑派を、「経済を理解していない左派」と叩くリフレ支持派も少なくありません(もっともこれは「右派」「左派」両方とも存在します)。)


そこに、「いざなぎ越え景気」では無かった、再配分拡大を「どうやって増やすのか」というロジックは存在しません


ただただ、「まずはパイを増やす」ということだけを重視するのです。


この構造、どこかで見たことはありませんか?


そうです。


「マネタリーベースをマネーストックにするためのルートを確保できていない」のにもかかわらず、ただただ「まずは“インフレ期待”を起こす」として「マネタリーベースを増やす」ことだけを重視する


まさに「リフレ」のロジックそのものなのです。


10.この小論、及び最近の経済ネタを書いた動機


私が、「リフレ」という考え方に初めて接したのは約10年前。

確か山形浩生氏の文章だったかと思います。

そのときの私の印象は「こりゃ、現実世界じゃ使えないな」。

正しいか間違っているか、ということではなく、むしろそれ以前。

「予想させる」ということを根幹に置くロジックは、学問以上の存在にはなりえない、ということです。


以後、「リフレ」の存在は、私の中で全く忘れ去られていました。


ここ数年、ネットといふものをたしなむようになり、そこであの懐かしい「リフレ」という単語を目にしました。

それも「左派の経済理論」として。


ちょっと驚いたが、まあそんなこともあるだろうと。


リフレ政策というのは、「通貨の価値が下がる」と予測させて、硬直化した経済を“再循環”させる政策です。


“再循環”にはもちろん“再配分”も必要で、現在は寧ろそれが決定的に不足しているがゆえの不況ではあるけれど、それを言っても賃上げがすぐに実施されるとも思われず、つまりは「政治的妥協」として、“企業にメリットのある”「リフレ政策」を提案する代わりに、“家計にメリットのある”再配分政策をパッケージで提案しているんだろう、と。
クルーグマンスティグリッツも、全体としてはおおよそこのような考え方ですよね。)


むしろ、このパッケージそのものを「リフレ政策」と呼んでいるんだろうと


しかし、私のこの期待は、すぐに裏切られました。


日本では、左派においても、「リフレ」が「再循環」のための経済政策とは理解されていなかったのです。


「再配分は困難だから、まずはリフレだけでも成功して欲しい」?!


「“再配分ルートのない”リフレ政策」それ自体を切り取ってしまうと、それは単なる「逆再配分政策」でしかありません(資産を持たない者にとっては特に)。


“そんなこともわからない”人々が、いや、再配分が困難であることを理解しているがゆえに、“そんなことはわかりたくない”人々が、「リフレ」を「万能薬」か「魔法」のように思い込み、そうすることで「いかにして賃上げを実施するか」という未解決の問題から逃げている・・・


私の目には、そのように映りました。

(特にデフレ派というレッテルを貼る人々に対しては!)


世の中には、ウマい話はありません。

それは経済世界も同じことです

(参考:「バブルの原因」)


しかし、日本における「リフレ」の語られ方の多くは、「ウマい話」を求める「日本人の心根を映す鏡」のようです。

(参考:「ざんげしろと言われても困ります」)


・・・・・・・・・・


最後に、私が「リフレ」、そして「アベノミクス」に賛同しない理由。


これからの政治は、いろいろな事柄について「議論をする」中で「相手を説得する」そして「考え方を変えてもらう」というプロセスを踏み、それを積み重ねることで内容を積み上げ、民主主義の経験値を一歩一歩積み重ねていかなければならない、と私は考えています。
(参考:http://www.amazon.co.jp/dp/4004308720


経済問題も例外ではありません。


法人税や雇用など、今以上に企業負担を増やさなければ、経済は循環しません(し、なにしろ/それゆえに肝心の経済成長が果たせません)。


しかし、日本における「リフレ政策」は、この「議論→説得→変化」を回避し、企業と「対立」することを避け、「民主主義の成長」をも犠牲にして、それなのに、いや、だからこそ「再配分ルートのない」「逆再配分政策」=「アベノミクス」へと成り下がってしまいました。


左派は(いや右派であっても)、「雇用が需要を生み出し、それが結局は企業を利する」ということを、企業に対し「説得」し、そして「理解」させなければなりませんでした。


しかし、(正確な数はわからないけれど、おそらく多くの)左派的リフレ派の方々は、この「民主主義に必要なプロセス」に対し、「古い」「経済音痴」「頭が悪い」「だから左翼は嫌われる」として、「新しい」「経済学的な」「アタマのいい」「好かれるサヨク」としての「リフレ」を広めようとだけしてきました。

「相手に考え方を変えてもらう」ことを諦め、「相手の考え方はそのままに『期待/予想』だけを変えてもらう」


このような「国・市民が企業に一方的に媚びる」ような政策=アベノミクスには、それにふさわしい未来が待っています。



その進む先に「お花畑」はありません。