歩きはじめた日

funaboristaは今日もお花畑目指して歩いています。


これは、昔から多くの人々が歩いてきた道でもあります。
では、わたしたちはいったいどこから歩いてきたのでしょう。


と、ここから先の内容は、いちおう12歳以下非推奨とさせていただきます(微エロありfuna基準)。
そのため、ここで折りたたみとします。
12歳以下で読まれる方は、12歳以下非推奨の自覚を持って読んでください。
(って大したことないんだけど、ようは折りたたみをマスターしたんでやってみたいだけw)



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人類はどうやって誕生したのか?
最新科学ではアフリカがその発祥の地という説が有力ですが、科学が発達していなかった昔から、さまざまな人類誕生の物語が生み出され伝えられてきました。
史上最大のベストセラー、聖書にももちろん人類誕生の物語があります。
それによると、


「神は、死が存在しない楽園をエデンという地に創り上げた。この楽園の管理人として、アダムという人間が創られた。やがて寂しそうなアダムのために、彼のあばら骨の1本をとって妻としてイヴを創造した。」


とされています。
・・・なんて話を聞くと、funaは親フェミニズムの人なので「なんてフザケた話なんだ」と思ってしまうのですが、まあこういうのは何かの「たとえ話」が、人から人に伝わるうちに当時の(今でも?)男尊女卑的価値観がどうしても入り込んでしまうもの、話をつくった人の責任じゃないのかもしれない、と諦めと寛容の精神でとりあえず先に進むことにします。


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「神は、『園にある全ての木から食べてよい、しかし「善悪の知識の木」からは食べてはいけない。』と言いました。
アダムもイヴもその言いつけを守り、知識の木には近づきませんでした。
その様子を、ヘビが見ていました。
ヘビは、イヴに知識の木の果実を食べさせようと何度も誘惑しました。
ヘビはこう言いました。
『イヴ、あなたは知っていましたか?神もまた、知識の木から果実を食べて、それゆえに世界を創造する方法を知ったのです。
これが、あなたがたにそこから食べないように命じたその理由です。あなたがたが、また神のようにならないように、そして世界を創造することが出来ないように。』
イヴはヘビの言うことを受け入れ、知識の木から果実をとって食べました。
イヴはその果実をアダムにも与え、アダムもその果実を食べました。」


これは「アダムとイヴの禁断の実」の話ですが、これはいったい何の「たとえ話」なんでしょう?
昔から「禁断の実=リンゴ」と言われていて、中世の絵画にもそういうように描かれていますが、近年はプラムとする説も浮上したりとか。
これは何かというと、「女性器を喩えたもの」なんです(似てますか?)。
で、ヘビはと言えば、これは当然「男性器を喩えたもの」(これはわかりますw)。
つまり「禁断の実をたべた」とは、ようするに「セックスした」ってことなんですね。
だから、彼らは禁断の実を食べると「自分たちが裸であることに恥ずかしくなり、体をイチジクの葉で隠した。」
かれらは子供ではなくなり、それゆえに羞恥心が芽生えたのです。


「世界を創造する方法」というのは、つまりは「子供をつくる方法」ということでした。


それにしても、「ヘビがイヴを誘惑した」って言いながら「イヴがアダムに与えた=イヴがアダムを誘惑した」って、ようするに「ヘビと頭は別人格」ってことでしょ?
まったくオトコの言い訳ってのは、昔から代わり映えしませんね!


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この話は、
「神は、アダムとイヴが「善悪の知識の木」の実を食べたことに怒り、彼らを楽園から追放しました。
彼らは、自らの手で耕作しなければならなくなり、女性には出産の苦しみが与えられ、命は限りあるものになりました。」
と続きます。
そして、アダムとイヴは失意と悲しみのうちに楽園を後にした、とされています。
マザッチョの「楽園追放」などは、その失意と悲しみっぷりが見事に描かれています。


でも、本当にそうだったの?
彼らは失意と悲しみのうちに楽園を後にしたの?


本当はちょっと違っていたんじゃないの、ってのがfunaの想像なんです。


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神は天地創造で、最後に「自らの姿に似せて」アダムを作ったんですよね。
でもアダムは、このままでは、神に愛されているだけの、ただ姿が似ているだけの存在。
私が神なら、これでは満足しません。
アダムを「どこまでも自分と同じようにしたい」、そう思うはずです。
それは、アダムが「神に従うだけの存在」ではなくて「自分の意思を持つようになる」という事です。


思い出してください。


アダムは、イヴに勧められて「善悪の知識の実」を食べました。
神に食べないように言われていたにもかかわらず、です。
しかしアダムはイヴの言うことに従った。


つまり「神よりもイヴを選んだ」のです。


アダムは、神に逆らうことで、自らの意思を持ったのです。


それまで、アダムは神の言う事=神の御心にすべて従っていましたから、その存在・行動は全てが「善」でした。
当然、神の御心に逆らうことは「悪」です。
それまでのアダムは、神の御心に逆らうという発想がもともとなかった、つまり悪の存在すら知らなかったのです。
しかし、イヴの「禁断の実の勧め」により「悪の存在」を知り、しかしそれでも、それが悪だとわかっても、アダムはイヴを選びました。


funaはそれを「愛」と呼びたい。


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神は彼らを追放しますが、それは彼らが神になるために通る道なのです。
それは自らの手で楽園をつくるため。
かつて神が自らの手でそうしたように。


そう考えると、「これは子供が大人になって独立する話」でもあります。


子供が自らの手を離れて独立するのを、喜ばない親がいるでしょうか?


そして、親から独立して、これから自らの手で楽園をつくろうとしている「アダムとイヴ」が、
その心に抱いているものは本当に「失意と悲しみ」なのでしょうか?


そんなことはないはずです。


アダムとイヴは、これからの人生に、少しの不安と、そして大いなる希望を抱きつつ、
エデンの園から外の世界へ、2人で手をつなぎながら歩きはじめたに違いありません。
そしてそのまなざしの向こうには、「自分たちだけの楽園」が見えていたことでしょう。


そして神は、そんな2人の姿を、少しの不安と、少しの寂しさと、
それでも「自らのこどもたちの旅立ち」を、心から祝福していたに違いありません。


funaboristaはそう信じています。


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ところで、アダムは「土」、イヴは「生きる・呼吸をする」っていう意味の言葉からきているんですって。
アダムとイヴ、聖書には2人として書かれていますが、本当ははじめは1人の人間として書かれたのかもしれませんね。


また、面白いのが「アダムの肋骨からイヴをつくった」。
人は普通、肋骨は12対あります(11対の人、13対の人も少数存在しますが)。
そして、人に一番近いとされるチンパンジーの肋骨はなんと13対なんです。


そして「出産の苦しみ」。
類人猿から人類に進化する過程で「人類が直立歩行になったため、それまでとは骨盤の形が変わり、産道が横長に狭くなったため」なんですが、それと引き換えに人類は「大きな脳」を手にすることができました。
これって「『善悪の知識の実』を食べる=賢くなることが直立歩行によってもたらされた」ってことを知らないと書けない事ですよね。


そう考えると「楽園追放」って、なかなか奥が深い話だと思いませんか。


追記:現在では「アダムからイヴ」ではなく、むしろ「イヴからアダム」と言う方が正しいことが生物学によってわかっています。
http://agri.mine.utsunomiya-u.ac.jp/hpj/deptj/anij/page/topics.html#4
まあ女も男も、どっちも元は同じなんですけどね。