非電化工房

昨日(5/22)、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」の「火曜企画 〜日本にも意外な資源が・・・電気のいらない家電?都市に隠れた油田?〜」で、あの「非電化工房」が紹介されました。


funaは、以前から「非電化工房」のファンです。
コメント芸人時代には、非電化工房と藤村靖之さんのネット記事を何回も投稿しております。
今回は、「テレビ出演記念」ということで、その中からfunaが一番好きなネット記事を「お花畑めざして」に掲載したいと思います。


以下、少し長いので折りたたみます




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(転載開始)


■自然のエネルギー授受の仕組を生かした非電化冷蔵庫


読者の皆さんには冒頭から唐突で恐縮だが、「冷蔵庫というものは、電気を使わなければ使えない」と思い込んではいないだろうか?


いまの日本で、冷蔵庫(電気冷蔵庫)を保有していない家庭はまず見かけないだろう。それどころか、一家に複数台の冷蔵庫を持つ場合も少なくない。しかし、わずか50年前には一般の家庭に冷蔵庫というものは、ほとんどなかった。


少し歳をとられた方ならご存じかもしれないが、かつて料亭や割烹旅館などではブロック大の氷を買ってきて冷蔵庫の中(の上部)に置き、その冷気を利用して中に入れたモノを保存する(氷で冷やす)冷蔵庫もあった。しかし、これは電気冷蔵庫ではない。


つまり、電気冷蔵庫が日本に今や「誰もが持っている」という状態になったのは、この半世紀くらいのことで、それまでは電気冷蔵庫というものはなかった。昔の人たちは夏の暑い日に何かを冷やしておくためには、井戸水や流水、あるいは自然に湧き出る水などに浸すなどの工夫をしていた(自然の冷蔵庫といえる)。


今回、紹介する「非電化工房」という組織を主宰する藤村靖之氏が発明した冷蔵庫は、なんと電気を使わずに、内部を効率よく冷やすことができるというものだ。「冷蔵庫というのは、電気を使って当たり前」と思っている方は、それこそ驚かれたかもしれない。一体、どのような仕組みで、電気を使わないでモノを冷やすことができるのだろうか?


■まずはその仕組を下図を見ながら簡単に説明しよう。


熱伝導、自然対流、輻射など、自然のエネルギーの流れを生かした非電化冷蔵庫


(funa注:ここに本記事ではイラストが掲載されています。↓にHPアドレスを掲載しますので、是非ご覧ください。)


モノを入れる貯蔵室は金属で作り、その周囲には水をたっぷりと充填する。貯蔵室内の熱は熱伝導によって金属から水へと伝わり、その熱は自然対流によって上部に集まる。
冷蔵庫の上部は輻射(放射)が生じやすい素材で作られた放熱板になっており、集まった熱はそこから外部へと放出していく。放熱板は透明の板で何層にも覆われているので、外気からの熱伝導──つまり逆に外部から熱が冷蔵庫内に入るのを防ぐことができる。
また、扉や側面には断熱材を使用し、やはり外部からの熱を防ぐ。こうして、貯蔵室内の熱を外部に自然と“逃がす”ような仕組みにし、同時に外部からの熱を“遮断する”ことで、周囲の水が冷えて、結果的に貯蔵室内のモノも冷えるという訳だ。


ただし、この仕組を働かせるためには条件がある。太陽光が直接当たらず、夜空がよく見える場所に置く必要があり、残念ながら屋内では使えない。また、電気冷蔵庫のように季節を問わず、庫内を一定温度に保つことはできない。


「なんだ、やっぱり電気冷蔵庫には敵わないじゃないか」──そんな声が聞こえてきそうだが、こんな見方をしてみてはどうだろうか。


家の中には小さな電気冷蔵庫を置いておき、頻繁に出し入れする食材などはそこに保存する。電気冷蔵庫が現代生活において必需品の一つであることはまぎれもない事実であり、それこそ電気冷蔵庫を使わない生活は、特に都市部のマンションなどでは不可能だ。


非電化工房の藤村氏も、「現在の日本人の生活スタイルとか、普及している各種電化製品を“否定”している訳ではありません。日本人は戦後、それこそ何もない時代から、経済的に豊かになるよう一生懸命努力してきました。その結果が、今の日本ですから、例えば電気冷蔵庫のなかった昔の生活に戻りましょう、と言ったところで、まるで現実的ではありませんから」と語る。


「でもね…」と藤村氏は続ける。「晩酌用のビールのように、冷蔵庫の扉を開けるのが1日1回程度のものであれば、例えばサンダルをひっかけて庭へ出て、非電化の冷蔵庫から冷えた飲みごろのビールを取ってくるのも、わるくないのではないでしょうか。非電化の冷蔵庫は、星空がきれいな夜ほどよく冷えます。今日のビールは冷たいな、明日はどうだろうか、などと考えながら、ふと夜空を見上げれば、晩酌前のひと時が豊かになるかもしれませんよね」。


庭先に設置した非電化冷蔵庫。頻繁に出し入れの必要がないものを保存するには問題ない


2002年1月に、某全国紙生活面でこの冷蔵庫が紹介されるや、藤村氏と新聞社には問い合わせの電話が殺到した。価格さえ決まっていないのに、問い合わせしてきたうちの5人は「すぐにでも手に入れたい」とのことだった。


藤村氏は、彼らがそこまで興味を持った理由を知りたくなり、事情を聞いてみた。すると、非電化の冷蔵庫を入手したいと問い合わせしてきた全員が北海道在住で、異口同音に「外は寒いのに、家の中で電気を使って物を冷やすことに違和感を覚えていた」と言う。


実は、電気を使わない冷蔵庫は設置や扱いなどが少し面倒だ。しかし、使う過程に“愉しみ”を見出せる人なら、電気冷蔵庫とは違った“豊かさ”が得られるかもしれない。あるいは寒冷地にいながら電気で冷やす行為に違和感を覚えた人たちにとって、ひとつの解となるかもしれない。どちらを選ぶかは、あるいはどちらも選ぶかは、個人の自由だ。


「そのための選択肢を提供するのが、発明家である私の仕事だと思っています」と藤村氏は穏やかな口調で語る。


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■愛するわが子が喘息になって初めて気づかされたこと


そもそも藤村氏は大手企業の研究室長などを務めた経歴を持つ、いわゆる「企業内発明家」だった。ときは高度経済成長期。新しいものを生み出すことで経済は発展し続け、人々の暮らしも豊かになっていくと誰もが信じて疑わなかった時代だ。


しかし藤村氏が38歳のとき、2歳になる愛息が喘息(ぜんそく)を発症する。当時、四日市市川崎市などの工業地帯では、既に大気汚染が問題になっていたが、藤村氏が暮らす逗子市はそういった地域ではない。


「喘息は工業地帯の病気だと思っていたので、本当に驚きました。それで色々と調べていきましたら、1983年当時、日本全国どの地域でもまんべんなく3%以上の子供が喘息にかかっていて、4人に1人は何らかのアレルギーに苦しんでいることを知りました。今でこそ、こうした問題は当たり前のように語られていますが、当時は経済発展がすべての尺度で、社会問題にすらならなかったのです。学生時代から物理一筋だった私は、いつの間にかそういう時代になっていたことに大きなショックを受けたのです」(藤村氏)。


子供の安全や環境を犠牲にして経済発展してきた社会と、科学者としてその一端を担っていた自分自身に対して、藤村氏は痛切に反省の念を抱く。そして「これからは“ハイテク一本槍”ではなく、第一に子供の安全を、第二に環境をテーマに研究を進めよう」という考えに至る。


しかし、当時の企業環境がそれを許すはずもなく、藤村氏は結果として会社を辞めて独立し、発明起業家の道を歩み始めた。39歳のときだった。


それから15年。20世紀末は、ミレニアムだ21世紀だと新時代の到来を祝う一方で、駆け足で生きてきた時代を振り返るべきときでもあった。


「20世紀は電気と共に歩んだ時代で、経済的にも物質的にも豊かになりました。しかし、その一方で引き換えに失ったものも多かったはずです。それを総括し、反省し、新たな豊かさや価値を求めて歩み始めるはずが、いざ21世紀を目前にして日本はまた違った方向へばく進し始めました」と藤村氏は強調する。


その方向とは、「グローバリズム」と「電脳化」(電気をはじめ、IT化やネットワーク化も含む)という2つの言葉に集約される。「どちらも決してわるいことではありませんが、貧富の差が拡大し、人と人との憎しみが増し、環境破壊も歯止めがかからないなどの状況を見ますと、そこに強い『訝しさ』を感じました」(藤村氏)。


新しい技術が生まれることで、我々の生活がある側面において豊かになるのは確かだ。新しい電化製品は人々の暮らしを快適、かつ楽しいものにしてくれる。新薬の発明や医療技術の進展は人々の命を救い、病の苦しみから遠ざけてくれる。


しかし、「発明家や科学者、技術者は、その国が連綿と培ってきた文化や、その国で幸せに暮らしている人たちの生活などを“破壊”することに手を貸してはいけない」──これこそが、藤村氏の発明起業家としての信念であり、非電化工房を立ち上げ、そこからユニークな製品を世の中に出してきた藤村氏らなではの取り組みのベースでもある。


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■発明家とは「新しい選択肢を提供する仕事」


藤村氏は、31年にわたって続けてきた「発明家」という職業を、「新しい選択肢を提供する仕事」と定義付ける。


分かりやすく説明しよう。かつて、洗濯は木で出来た洗濯板を使って手で洗うしか方法がなかった。洗濯機が発明されたことで、多くの人たち(特に主婦の方)は、それまでの手洗い洗濯の苦労から開放された。今でもモノによっては手洗いをすることはあるだろうが、ここで重要なのは「手洗いするか」、それとも「全自動洗濯&乾燥機で最後まで自動的にやらせるか」ということを、利用者自らが選べることに価値がある。


藤村氏によると、「発明家は選択できる状況を作るまでが仕事ですが、その発明によって幅が広がった選択肢を利用者に押し付けることはしてはなりません」と言う。つまり、どのような製品や手段、サービスなどを選ぶのは、我々、使い手側の自由なのだ。だからこそ、選択肢の幅をいかに広げるかが、発明家に問われることになると藤村氏は考えている。


21世紀を前に「訝しい」方向へばく進する様子を見ながら、藤村氏は発明家として「『グローバリズム』『電脳化』以外の選択肢がどんどん失われているのではないか」と思い至る。


「こうした選択肢の乏しさは、日本だけではなく、発展途上国も同じでした。元々、発明家として果たすべき役割は日本よりも途上国にあると思っていたものですから、途上国が『グローバリズム』や『電脳化』へ突き進む姿を見て、『このままではいけない!』と強く感じました」(藤村氏)。


例として藤村氏が挙げたのが、すぐ上で紹介した電気洗濯機である。藤村氏はこう続ける。「電気洗濯機は、今では先進国を中心に約2億台も普及しています。もし、発展途上国にも同様に普及すると、ざっと見積もって20億台にも達します。ある計算式によれば、その20億台の洗濯機が、今の2億台と同様に電気や水を消費し、合成洗剤を排出すれば、電気洗濯機だけで地球は“滅びて”しまいます。エアコンも同様で、全世界に100億台普及したら、どうなるでしょう。地球は終わるかもしれませんね」(藤村氏)。


もちろん、技術は日進月歩だ。途上国に普及するまでに、もっと環境に優しい製品が開発されるかもしれない。しかし多くの場合、途上国は先進国を手本にして、同じものを作って普及させていく。端的に言えば、先進国と同じような生活スタイルになりたいと願っている。先進国と同じ発想、同じ取り組みを実行したら、課題や問題も同様に先進国と同じになるだろう。


「発明家として、先進国の後追いではない、新たな選択肢を提供することに意義を感じました。しかも、これだけ世の中が便利になったのですから、なにもかつての“貧しい昔”にわざわざ戻るのではなく、現在の良いところは伸ばしつつ、それでいて環境の持続性を満たす豊かさを提供したいなと思った次第です。それで『グローバリズム』『電脳化』というキーワードとは対極の、『ローカル化』『非電化』に特化して活動しようと思い、非電化工房を設立したのです」(藤村氏)。


途上国での活動の一例が、一昨年秋から始まったナイジェリアでのプロジェクトだ。ナイジェリアではオレンジの季節になると、消費しきれないほどの果実が実る。しかし、ナイジェリア国内ではすべてを消費できず、その8割がたを腐らせていた。


その一方で、シーズンオフには国外(特に欧州)から高価なオレンジジュースを輸入しているという現実がある。ナイジェリアはお金持ちどころか借金大国なのだが、ジュース産業がないばかりに、こうした矛盾が生じていた。困り果てたナイジェリア政府は、国内にジュース産業を育成すべく、ジュースの輸入を禁止し、先進工業国からジュース製造工場の技術導入を図ろうと考える。


「先進国で稼働している最新鋭の工場をつくることでもたらされるのが何かというと、実は濃縮還元のまずいジュースであり、オレンジの酸の影響を受けかねないペットボトル入りのジュースであり、電気や化学薬品を大量に使用することに伴う環境汚染なのです。しかも、最新鋭の工場はほぼ全自動化されていますから、仮にそのジュース工場をナイジェリア国内に誘致したとしても、新たな雇用は発生しません。ナイジェリアの失業率は6割ですから、全自動化する意味がないでしょう。すると、どうなるでしょう? 結局、輸入品よりも高いジュースを生産することになり、輸入ジュースより売れず、新規雇用も発生せず、さらに借金がかさんでしまう可能性が大きいわけです」(藤村氏)。


そこで藤村氏がナイジェリア政府に提案したジュース工場のプランは、その正反対の内容である。絞った果汁は煮沸せずに、約70℃でゆっくりと殺菌。あらゆる工程は自動化せずに、手間をかけて製造する。それ故に、おいしくて安全なジュースができるし、電気や化学薬品等を使わないので環境にも優しく、5年間で6000人もの雇用が見込まれるというモノだ。さらに、そうして製造したジュースの価格は輸入品より安い。藤村氏のプランでは、そのようなジュース工場をつくることで、5年後には借金を返済でき、6年目以降は“貯金”も可能だという。


先進国の全自動ジュース工場か、藤村氏の提案する非電化ジュース工場か。2つに増えた選択肢を吟味すべく、政治家や学者、ジャーナリスト、起業家、女性……ナイジェリアの識者や代表者が70人以上も顔を突き合わせて、30分間にわたって喧々諤々の議論を交わしたという。その結果、全員一致で、藤村氏の非電化ジュース工場が採択された。そのとき、そこにいた全員が涙を流して泣いていた。


「アフリカは歴史的に欧州から辛酸を舐めさせられてきましたが、決してそれをよしと思っていたわけではなく、選択肢がそれしかないと思うから、選んできただけなのです。今回のジュース工場も『またいつものパターンだろう』と諦めて、勇気と希望を失っていたところに、非電化という、もうひとつの新しい選択肢を提示しました。私の経験上、勇気と希望を失った人々が、再びそれを手にすると、老若男女を問わず全員が涙します。ナイジェリアの人々の涙はそういう意味だったのだと思います」──藤村氏は当時を振り返ってこう語った。


藤村氏とナイジェリアの子供達。「年中果物が実り、人と人は仲良く、大らかに暮らしているナイジェリアは本来幸せなのです。ただ、ほんの少し不幸な部分がある。全体の幸せな構造を変えないで、不幸な部分だけを変えることに手を貸したい」


(引用終了)


以上、ECO JAPAN〈エコジャパン〉(nikkei BPnet) より前編のみ転載。
(後編も↓でぜひご覧ください)


■電気を使わない「非電化」という選択肢(前編)
〜道具を使うプロセスを愉しむことを忘れていませんか?
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070223_hidenka01/index.html
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070223_hidenka01/index1.html
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070223_hidenka01/index2.html
2007年2月23日


■電気を使わない「非電化」という選択肢(後編)
〜道具を使うプロセスを愉しむことを忘れていませんか?

http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070302_hidenka02/
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070302_hidenka02/index1.html
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070302_hidenka02/index2.html
http://eco.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/070302_hidenka02/index3.html
2007年3月2日


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ここには、funaがこれからブログでお話ししたいことが、いくつも詰まっています。
特に後半のナイジェリアのジュース工場の話。


これは、「途上国の話ではありません」。


今の日本の経済政策が根本的に誤っていることや、多くの日本人が間違って思い込んで(思い込まされて)いることなど、いままで書いてこなかったそういったことも、今後このブログでは綴っていきたいと思っています。
(隠れた(忘れてた?)目的の一つがやっと出てきたw)

 


ところで村野瀬さん。


「ECO JAPANは、2011年12月22日をもって更新を終了」したそうです!
http://eco.nikkeibp.co.jp/close/index.html


やっぱり、日経はしょせん日経ってことですね!!